2008年9月某日。 週末の昼間、 大和路、春日の森へ。
某ガイドブックに従って、観光。
(だから、下の文章のうち、僕自身の文章表現は別として、
ウンチクに関する内容はそのガイドブックによるものだ。)
僕は特定の宗教を信仰しているわけでもないし、
霊感が強いわけでもない (というか霊感は全くない)。
何らかのイデオロギーを声高に主張しているのでもない。
かといって無宗教という割には
日常的には仏教や神道の影響を受けながら生活しているのも事実であり、
そして昔から神社仏閣や線香の匂いや
古い建築物や教会カテドラルの雰囲気が大好きで、
40歳頃から意識して、いくつかの世界遺産を訪れている。
・・・・・ 大宮をいきなり訪れる、のではなく、
あえて遠い距離にある 一の鳥居から、 歩く。
参道を時間をかけて少しずつ大宮に向かって、 歩く。
それはメインの施設に近づくための、
呼吸や気持を整えながら近づくための、
一種の必要なプロセスなのかもしれない。
あえて、一の鳥居から、というのが、 いい。
参道の中央部分は神様が通る場所だ。
そこを避けて、できるだけ道の端を、 歩く。
緑があふれ、
鹿があちこちにいて、
参道はまるで
昔に向かって走り去っていくタイムマシンのようだ。
僕は、「何か」を味わいながらゆっくりと歩いているのに、
参道そのものは猛スピードで僕を追い越して
遥か千数百年前の昔に向かって走り去っていくような気がするのだ。
根拠も理由も何もないが、
ただ、なぜかそんなふうに僕は感じてしまう。
参道の両脇には、数多くの、石灯籠。
大小さまざまな形やデザインの灯籠。
いわゆる、万灯籠。
線香の、良い匂い。
馬出橋(まだしのはし)、
馬止橋(まどめのはし)、
・・・・・・ 橋を渡っていくのは 「禊ぎ(みそぎ)」の意味があるという。
そして馬止橋を渡ると、
いよいよ緑深き森の中に入っていく感覚が、より一層わいてくるのだ。
車舎(くるまやどり)を右手に見て、
二の鳥居をくぐる。
(鳥居はくぐるたびに一礼する。)
祓戸(はらえど)神社の
「伏鹿手水所(ふせじかてみずしょ)」 で、
口と手を清める。
その先の剣先石(けんさきいし)を
踏まないように気をつけながら
(踏むと よからぬことが起こる という言い伝えがあるからだ)、
でも結局少しは踏んづけてしまいながらも、
榎本神社に向かう。
大宮の前に、まずは榎本神社へ参拝。
それが順序だ。
そしてようやく、大宮へ。
南門から中門。
あたり一面の木々の緑は朱の色を称え、
朱は緑を大切にしている。
緑と朱の絶妙な色彩コンビネーション。
そんな空間。
南門の近くに、「砂ずりの藤」がある。
花が咲く時期には砂に着くほど伸びる藤の花。
見ごろは4月下旬から5月とのこと。
東回廊と南回廊の間の垂木(たるき)。
木を、 ねじっている??
大昔の宮大工たちの、
なんて高度な技術であることか。
いにしえの職人たちの、
きちんとした「仕事」を感じずにはいられない。
素晴らしい建築物だと思う。
敬意を。
職人たちに、最高の賛辞と敬意を、 表したい。
東回廊には傾斜がある。
山あいなら土地を削って水平に建てるのが現代の考えかもしれないが、
神の土地は畏れ多く、
削らずに、
そのまま傾斜のある土地に合わせて建てられているそうだ。
回廊ではいくつもの、本当にいくつもの
釣灯籠(つりとうろう)が視界に入る。
そのそばの格子。
絵画技法で言う遠近法のようなシーンが僕の目の前に広がる。
僕はそこで
釣灯籠と格子の数だけ、
向こうに歩けば千数百年前に、
背中の方に戻ればウォン・カーウァイ監督が描いた映画「2046」年の未来に、
行ってしまいそうな幻想を抱く。
まるで一種のタイムトンネルが、そこにあるかのように。
先に進めば昔に戻り、
後ろに下がれば未来に、というのが、
なぜだか僕にもわからない。
本来なら逆に感じてもいいのだけど、
こういう場所はそれでいいのかもしれない。
そう感じただけだ。
特に理由はない。
何が真実かは別にして、今の僕にとって
千数百年前の過去も、
2046年という未来も、
僕が存在する今このときとは異なる「空間」だということに
変わりはない。
大宮。
捻廊(ねじろう)。
本殿では個人的な願い事は、しないのだそうだ。
公的な、天下国家の願い事をする。
でも、この僕が?
公的な願い事?
どういうふうに?
例えば、アメリカの金融問題とか?
はてさて。
とにかく、
個人的な願い事はその先の摂社(せっしゃ)、末社(まっしゃ)で。
御間道(おあいみち)から若宮へ。
巫女(みかんこ)と神楽男(かぐらお)はどこに?
そして、梅の木はどこ?
「人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香に匂ひける」
(紀貫之 百人一首)。
・・・・・ 僕は歩きながら思った。
ヘンリー・ミラーが「北回帰線」のラストで書いているように、
人間には時間よりも、空間が必要なのだ。
そりゃ、もちろん、時間も大切な概念で、
ある程度の分量の時間が存在しないと、お話にならないだろうけど。
でもやっぱり、 空間は時間をリョウガする、と思いたい。
この日のように、
一の鳥居から、少しずつ参道を歩く。
そこここで線香の匂いをかぐ。
古(いにしえ)の建築物を眺める。
いくつもの釣灯籠を過去と未来のはざまに立って、見つめる。
緑と朱という色彩を堪能する――。
空間を移動することによって、
遥か昔への思いを馳せることが、
少しはできるような気がする。
僕の青臭い、 淡い、 期待だろうか?
いずれにしても僕は
大和路で感動の極致にいたことだけは、確かなのだ。
・・・・・・ やがて北の方角への道に戻り、
この一帯を抜けて、
公園の緑の中、
ひたすら歩を進める。
鹿が、いる。
数多くの、鹿が。
かつて予知能力のある霊獣と考えられた鹿。
春日の神は平城京を守るために
白鹿に乗って大和に降臨したという、言い伝え。
歩く。
緑の中を。
朱色はもう、見えない。
緑は僕を頭っから足の先まで包んで
どこかに連れ去ろうと画策している。
どこかって、それはまさか嬉しいことに、
月子さん(仮名)のところだろうか?
そうだと、いいのだけれど。
ねぇ、月子さん、
僕は少し、歩き疲れたよ。
酒(日本酒)が、欲しい。
銘柄は白鹿、かな、 やっぱり(笑)。
酒を、 飲もうよ。
大和の 夕陽を見つめながら。
♪ テーマ曲 「月光」 by 藤原道山 ♪
♪ テーマ曲 「ELM」 Cowboy Bebop サントラ 「No Disc」より ♪
♪ テーマ曲 「通り雨」 by 風 ♪
♪ テーマ曲 「スカボロ・フェア」 by サイモン&ガーファンクル ♪
♪ テーマ曲 「僕のいいたいこと」 by オフコース ♪
(つづく)
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