アジア的カフェ (By 夏目芳雄)
2024-01-09T08:03:23+09:00
y_natsume1
夏目芳雄の東南アジア・映画・ジャズ・酒などに関するよもやま話です。
Excite Blog
幼い頃の おぼろげな映像の記憶 ~スモモを食う男~
http://natsume1.exblog.jp/33615196/
2023-12-31T15:48:00+09:00
2024-01-04T10:07:03+09:00
2023-12-31T15:48:41+09:00
y_natsume1
映画言いたい放題
たぶん1970年前後、僕が5~6歳ぐらいの頃の、
あるいはそれよりも前の3~4歳の頃の、
映像の薄っすらとした記憶が
いくつかある。
それが何だったのか、
今でもはっきり分からないものもあれば、
特定できることもある。
人間の記憶はそもそもあいまいで、
あまりあてにはならない。
いつのまにか自分でも気づかないうちに
自分の都合のいいように書き換えたり、
勝手にこうだと思い込んだり、
別の記憶と混ざったり混同したりする。
まともに付き合うには、厄介だ。
特に幼い頃の、記憶は。
ただ、それらのうち、
今回の3つの記憶は僕にとっては、
それがおぼろげではあってもちゃんと覚えてはいて、
今までずっと、いろんな意味で特別だった。
1.TBSの時代劇ドラマ「大岡越前」の江戸の火災シーン。カラー。半鐘の音。印象的なテーマ曲。
家ではなく、どこか外の街頭テレビで見た。
温泉街みたいなところ。
縁日か何かで店を開けていた夜の電気屋さんのテレビだったのかも。
どこだったかは分からない。
それでも なぜ覚えているのか。
怖かったからだ。
そして、
カラー映像だったからだ。
TBSは当時住んでいた香川県でも放映されてたけど、
自宅のテレビは古い真空管方式の白黒で、TBSだけ受信状態がかなり悪かった。
ぜひとも観たいのはかろうじて観たけど、
(特にザ・ガードマンとかキイハンターとか有名なやつは時々、かなり離れた祖父の部屋のテレビで)
やがて新たな中古のお下がりのテレビが来て、
「帰ってきたウルトラマン」などを観始めることができるまでは、
普段はTBSはほぼ観ないから、このエピソードについてはかえって印象深く覚えている。
とにかく、
怖かった。
火事のシーン、半鐘の音、
殊に テーマ曲の女性スキャットの部分が
とても悲しそうに僕には聞こえた。
この強烈なテーマ曲のおかげで、
当時放映が始まったばかりの「大岡越前」だと特定できる。
火事のシーンはとても怖くて、
女性のスキャットは、僕の恐怖体験を呼び覚ます。
火事は今思えば、町火消しを整備した大岡越前ならではのエピソードだったのかも。
2.特撮映画で避難する住民、子供に会えず力尽きる母親。テレビ放映で観たはずのモノクロシーン。
なぜ覚えているのか。
悲しかったからだ。
そのシーンが。
避難する母親と子供が会えず、母親は力尽きて倒れる。
当時、シングルマザーの僕の母は働き詰めで、
幼稚園児から小学校低学年にかけての僕は
家で一人、始終テレビを見て過ごした。
映像での力尽きた母親と、現実の僕の母とが重なったのだと思う。
だから、悲しくて、寂しくて、
独りになるかもしれない恐怖感と相まって、
覚えているのだろう。
この映像に限らず、
当時のテレビ番組やテレビ放映された映画やドラマは、
幼かった割には僕は何でも片っ端から見ていて、
リアルタイム体験で
当時のものに 僕は 異様に詳しい。
やがて40歳ぐらいのとき、
知人の映画マニアからたぶんアレだよと教えられて、
件の映像が、
東宝の特撮映画「世界大戦争」(1961)だとようやく判明した。
カラー作品だった。
改めて見ると、まさにそういったシーンがあった。
「クリームパンを買っていくから」
という母親役のセリフの場面は、
それこそが、自分の母親に重なるキーポイントだったから、そのシーンで、あーそうだった、そうだった、と思い出せた。
幼い頃にたった一度見ただけなのに、
記憶は、 ぜんぜん間違っていなかった。
3. スモモを瓶からつまんで食う男、地下室、犯罪の雰囲気。テレビで観たモノクロの、洋画か日本のテレビドラマ。
映像が何だったのか分からない。
幼い僕が「スモモ」を理解するはずもない。
スモモとわかったのは、
たぶん、セリフにあったからだろう。
地下室に降りるシーンもあったかも。
犯罪の匂い。
スモモを食う男は1度ならず2度、瓶からスモモを取ったはず。
洋画のテレビ放映だったのか、日本のテレビドラマだったのかも定かではなかった。
映画だったとしても、
幼い子供には全編を通して見る気力はなく、
一部を断片的に見た可能性は高い。
いずれにしろ、
それ以来、何十年もずっと、おぼろげなまま。
それが、つい最近、偶然、
もしかしたら、この映画がそれだったのかもしれないと思う作品を観た。
「嘆きのテレーズ」(1952)
マルセル・カルネ監督。フランスのモノクロ映画。
絶対ではないけど、たぶんそうだと思う。
だってこれまでさんざん映画やドラマを観てきて、
スモモを食うシーンなんて他の作品にはどこにも出て来なかったし。
今回、「嘆きのテレーズ」を観ていたら、
あった。 男が瓶からスモモを食うシーン。
しかも2つ目を取ろうとしてた。
はっきり「スモモ」と言うセリフもあった。
僕が地下室だと思い込んでいたのは、
カフェのカウンター近くで、
店主が床の、
地下貯蔵庫のフタを持ち上げるシーンがあって、
それを地下のシーンと思い込んだのかもしれない。
実際には登場人物たちは地下にはいなかった。
驚いたことに、この映画のラスト数分のシーンは、
前に
(幼い頃の記憶とは別に、それ以降これまでの間に?)
どこかで 僕は観たことがあるはずだと思った。
明らかに。
でも 不思議。
大人になって、一度観たとしたら、なぜその時はスモモの男に気づかなかったのか、それは分からない。
もしかして、幼い頃に見た時すでに、スモモだけでなく、ラストシーンまでもが記憶に残ったのだろうか。
それこそ それは、記憶を都合よく書き換えた、あるいは他の記憶と混同した、でき過ぎな話、のような気もするが。
それにしても、
もしこの作品が幼い頃の映像の記憶の原点でいいのだとしたら、
物心ついた幼い僕の、
最初の頃の映画の原体験が、
こんなに素晴らしい
マルセル・カルネ監督作だったとは、
今の、映画大好きの僕にしてみれば、
なんて光栄で幸運で幸せな映画ファン人生のスタートだったことだろうと思う。
ちなみに、
この映画の主演、シモーヌ・シニョレは、
この当時はすっごく美人で個性的な女優だったんだね。
1960年代から70年代以降、彼女は貫禄が出て、
美人の面影のない、ふてぶてしい顔つきになっている。
例えば、
70年代末にテレビの水曜ロードショーで観た、「燃えつきた納屋」とか。
彼女はそのキャリアの最後までずっと
存在感がすごくて、
とても魅力的な女優さん。
♪ テーマ曲 「The A Team」 by Ed Sheeran ♪
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手にしっくりなじむ器
http://natsume1.exblog.jp/33601857/
2023-12-22T20:30:00+09:00
2023-12-27T22:28:09+09:00
2023-12-22T20:46:53+09:00
y_natsume1
日々の雑文
自宅でずっと長く、日常生活で使うための器(主に酒器)。
決して高価なブランド物ではなく、
比較的安価ではあっても(むしろ安価なものばかり)、
自分が手に持ったときに、
使いやすくて、
口縁(ワイングラスで言うリム)にも違和感がなく、
心底気に入って、
理屈抜きになぜか
手になじむもの。
一旦、しっくりくるのがわかったら、
欠けたり割れたりするまでは、
長年、ひたすらそれらを大切に使い続けている。
気に入ったからといって、
(青緑色のチューブ絵具のときと違って)
ただ飾って眺めるのではなく、
実際に 使う。
僕のは美術工芸品ではないし 使うための物だからだ。
どんな器で飲もうと、
飲んでお腹に入れば同じじゃないか、
とは思っていない。
手になじむ器で飲んだなら、
その際の空間全体の雰囲気や、時間の流れも含めて、
明らかに自分の満足度、幸せ度が違ってくる。
だから、そういう器を見つけたり、出合ったりすることは
自分にとっては 人生でとても大事なことなのだ。
欠けたり割れたりするのも、
洗う際に特に乱暴に扱っているつもりはないから、
いわゆる寿命としか言いようがない。
そもそも気に入った器だけを長い間繰り返し使っているのだから、
使用頻度も他の器に比べて極端に高いのだ。
欠けたとき、割れたときは、
長年親しくしていた人に急に去られたみたいな感じがしてそれは悲しい。
悲しいけれど同時に、僕はその器にとても感謝して、
今までありがとうと心中でつぶやく。
用途別にはだいたい次のような状況。
1. コーヒー用の大きめのマグカップ。
大きいサイズのが好き。
最初はたまたま自宅にあった大きめの乳白色のもの。
手触りや飲み心地が良く、10年ぐらいは使ったと思う。
それが口縁部分から下にかけてひび割れて引退。
次は、よくお世話になっている古着屋さんのノベルティグッズのマグカップを使っていて、
これもとても気に入っていたのだけど、
洗っていて欠けたので、
あちこち探して、
あまりしっくりこないマグカップを2、3種類試した後、
今使っているマグカップにやっとたどり着いた。
これは、古着屋さんのノベルティグッズと同じ型、同じサイズのもの。
真っ白の無地。
シンプルなデザイン。
手になじむ。
特に 取っ手部分のサイズがピッタリで持ちやすくて最高。
つや消しみたいな表面で、ツルツルしていない肌触りがいい。
もう5年ぐらい使い続けている。
2. ウィスキーグラス。
最初のグラスは、
若い頃に、友人か誰かの結婚式の引き出物で頂いたもので、
同じのが2個のワンセット。
結婚式の引き出物にふさわしい、ペアのグラス。
偶然にも、僕にとっては重さや手にした感触が抜群で、
いたく気に入って
20代半ばから、20年ぐらい、引越のたびに連れ歩き、
かなり長く使っていたやつ。
引き出物として結構 質の良いものだったのかもしれない。
ウィスキーだけでなく、
(今はもうあまり飲まなくなったけど当時は)
麦焼酎のお湯割りまでこの気に入ったグラスで飲んでいた。
このグラスを使うのが楽しくて、
中身のお酒の種類は二の次になるほど、
それぐらい好きだったということだ。
いつだったか、
1つは既に割れていて、
2つ目も、
もうさすがに寿命だったのかもしれないが洗っている時に割れたので、
では、次のを、と思って
実際に手に取ってみることのできるリアルなお店で、
例えば浅草橋や日本橋など、いろんなお店で物色した。
けれど、
なかなかコレというのには出会えず。
少々高価なバカラを買ってみたが、それも感触がいま一つだった。
バカラなら有名だしフィットするかもと浅はかにも思ったが、
そううまくはいかなかった。
そのうち数年たって、
賭けみたいにネット通販で2、3種類買ってみた中で、
一つだけ、
ようやく気に入ったのを見つけて今も使っているのは、
チェコ製の ラスカボヘミアのグラス。
バカラよりかなり安い。
けれど しっかりした重さといい、
大きさといい、
模様のカット具合とその触り心地といい、
自分の好みにピッタリだし、
最初に気に入って使っていた結婚式の引き出物のウィスキーグラスと
よく似ていて、
ようやく 手にしっくりくるものを見つけたと思えた。
割れた時のためにと、
同じものをもう一個スペアとして買ったほど、
気に入っている。
もう7年以上使っていると思う。
そして、気に入ったウィスキーグラスだからといって
ストレートやオンザロックスでは飲まない。
開高健みたいに食道癌になりたくないしね。
たいてい炭酸水で割ってハイボールで少しずつ飲むことがほとんど。
世の中にはハイボール用のグラスもあるし、
実際、デュワーズのロゴが入ったそれも持ってはいるけど、
それはあまり使わず、
このボヘミアングラスで ハイボールで飲む。
ウィスキーグラスの使い方としては邪道かもしれないけれど、
自宅&自分使用だし、僕はその使い方が気に入っているから、
それでいい。
ウィスキーが進む。
3. ビール用グラス。
自宅での瓶ビール用だからその前提で、
ジョッキではなく、
小さめのやつ。
町中華や気の利いたバーで使われている、あのタイプのものがいいのだ。
シャカリキになって探そうと思えば見つかるのかもしれないが、
どうもご縁がない。
口縁の薄さが大事なポイントなのに、
なかなか気に入ったものを見つけられずにいる。
最近手に入れて使っているのは、
キリンのロゴが入った、
レトロ版の小さめのグラス。
口縁はそれほど薄くはないけど、かなりよきグラス。
それと、ギネスビール専用の、
ギネスのロゴの入ったグラスは同じのを2つ持っていて、
これも大のお気に入り。
350mlの1缶の量が、泡も含めてちょうど入る大きさ。
ギネスビールの最大の特徴である細かい泡を楽しむために、
わざわざ缶からグラスに注ぐ、
そのためのものだから、泡も含めてちょうど入るようになっている。
ギネスビールの缶の中には、グラスに注ぐときに泡を細かく出すための仕掛けで、
小さなボールみたいなのが入っている。
さすが。
4. ワイングラス。シャンパンフルート。
ワイングラスは洗うのも難しいし、
実際洗っている最中によく割れたり、ステムの付け根で折れたりするので、
今は心底しっくりくるグラスはない。
ホントは大きめの直径で深くて、
香りを楽しみやすいのが好みだけど、
今ある中で主に使っているのはかなり小さめのグラス。
取引先相手から15年ぐらい前にプレゼントされたもの。
品物自体はとてもいいものなので、けっこう長く楽しめてはいる。
シャンパンフルートはまずまず。
5. 日本酒の盃、お猪口、ぐい呑み。
日本酒は40代ぐらいの頃から本格的に好きになって飲んでいる。
日本酒ならとにかく盃がカッコいいのではないかと思って
浅盃ばかりいくつか買ってはみたものの、
どうも自分には合わないと悟った。
深盃なら少しは印象が違ったのかもしれないけど、
浅盃はなぜか飲みにくく思えてしまって、
しかも持つには軽すぎるというか、
持ったときに実感が薄いのだ。
相性の問題とでもいおうか、
とにかく僕にはしっくりこない。
理屈ではない。
ま、お燗で飲むことも多いし、
盃でないなら、お猪口か、
もう少し重い、ぐい呑み、ということになる。
以前は神楽坂でたまたま安く買った 全体が乳白色で
ところどころに桜色の薄い文様が入った
深盃にも似たぐい呑みを、
胴の深さ、角度、高台の高さ、口縁の感覚まで気に入って、
10年近く使っていたが、
やはりこれも使いすぎての寿命だったのか
洗っていて真っ二つに割れたので、
今は比較的好きな、他のものをあれこれ使っている。
例えば、
館山で買った、深く神秘的な青色の、
上から見込みを見ると大きめの深盃のようにも思える、いわば
盃とぐい呑みの中間のような形のやつ(たぶん分類としてはぐい呑みになるのだろう)とか、
黒と焦茶の、手になじみやすい 陶器のぐい呑み、
8年前に富山で日本酒の成政と一緒に購入した、銀色の、たぶん錫のぐい呑み、
ネット通販で勢いで買った、見込みの中央に定番の蛇の目があるお猪口、など。
でも、日本酒を頂く器としては、まだまだベストなしっくり感ではない。
いずれ見つけたい。
関連記事:
「ウィスキーが好き」
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ゴロワーズ 再考
http://natsume1.exblog.jp/33589038/
2023-12-16T08:35:00+09:00
2023-12-16T12:59:42+09:00
2023-12-16T08:36:31+09:00
y_natsume1
日々の雑文
お気に入り映画監督の一人、
ジム・ジャームッシュの作品に、
「コーヒー&シガレッツ」
がある。
モノクロなのがいい。
もうタバコを止めて15年近くになるけど、
以前は主に外でお酒を飲んでいる時だけ、吸っていた。
クアラルンプール駐在の30代初めの頃はマルボロライト。
今はどうか知らないが、
当時マレーシアの飲み屋ではどこもかしこも、
なぜか、
ボトルはシーバスリーガルかブランデーの2択しかなく、
用意しているタバコはほぼほぼマルボロライトオンリーで、
あまり選択肢がなく、
結果、
ボトルを入れるならシーバスリーガル、
タバコはマルボロライトに。
その後帰国してしばらくたった30代後半ぐらいの頃から、
フランスの、葉を寝かせた黒タバコ、
ゴロワーズという、両切りカポラルを嗜むようになった。
いつもペルノーやアブサンのソーダ割などと一緒に、外の飲み屋で。
いつだったか、以前勤務していた会社の近くのカフェで、
サボって、いや休憩しようと、
コーヒー頼んでゴロワーズ吸ってたら、
意外に合うことがわかった。
というか、
ゴロワーズはお酒よりもコーヒーとの相性が抜群にいい、とわかった。
今、
映画「コーヒー&シガレッツ」のDVDを
消音で写真集を見るが如く自宅でかけながら、
もう吸わないけど、
ゴロワーズの良さを思い出している。
コーヒーとゴロワーズ、いいコンビ。
♪ テーマ曲 「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」 by かまやつひろし ♪
関連記事:
「新宿ゴールデン街(6) ~ゴロワーズとアブサン~」
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F1の歴代日本人レーサーのファーストネーム
http://natsume1.exblog.jp/33576261/
2023-12-09T09:15:00+09:00
2023-12-09T09:16:51+09:00
2023-12-09T09:15:31+09:00
y_natsume1
日々の雑文
F1の、歴代日本人レーサーの、何人かの名前。
どうしてこうも何人も、ユニークかつ割合にカッコいい(と個人的には思ってしまう)名前がつけられているのだろう、と思う。
表意文字である漢字を、表音文字としてだけ使ったような外国人みたいな名前でもなく、
あるいはほとんど読めもしないキラキラネームでもなく、
ちゃんと読めて、
漢字としてもわりと座りがよく、
カッコいい名前だと思う。
1人や2人だけではない。
どうしたことか。
ホントにこれは偶然なのか、
名がその後のレーサー人生を決めたのか、
わからないけど。
例えば、
亜久里
右京
虎之介
可夢偉
琢磨
左近
カッコいい。
偶然にしてはできすぎかも。
♪ テーマ曲 「TRUTH」 by T-SQUARE ♪
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好きな色 いくつか
http://natsume1.exblog.jp/33563691/
2023-12-03T12:30:00+09:00
2023-12-10T13:08:43+09:00
2023-12-03T12:39:12+09:00
y_natsume1
日々の雑文
1. 青。
幼い頃から今も好きなのは、断然、青。
小学生時代の図工の授業用の水彩絵具セットにあった、いわゆる青。
水色やアクアブルーでもなく、
セルリアンブルーでもなく、
群青色 ウルトラマリンでもなく、
紺色、藍色でもなく、
青。
今では水色も群青色も紺色も好きだけど、
やはり、青。
大人になって、
映画「シュルブールの雨傘」のDVDパッケージの水色や、
40代半ば頃まで吸っていたゴロワーズという黒タバコのパッケージの、
白が少し混ざったような青と水色の中間ぐらいの色も、
とても好きになったけど、
まぁ、基本、好きなのは、青。
2. 青緑色。絵の具として。
ピーコックグリーン、
ピーコックブルー、
ターコイズブルー、
どれもこれも、微妙に違う気もする。
色彩の専門用語としてはどれを選んでどう説明したらいいか、
ほんの少しとはいえ、
違うといえば違う、
その色の違いをどう言えばいいか、
難しくてよくわからないが、とにかく、
青と緑の中間ぐらいで、
白が少し混ざったような、くすんだやつ。
きっかけはモネかゴッホの絵だったような気がする。
たぶん、ゴッホの絵の色彩。
小学校高学年の頃に観た、ゴッホ展での何かの絵か、
それか、
高校2年の夏に、UKブライトンで1か月ホームステイした後にアムステルダムのゴッホ美術館を訪ねたが、
たぶんその時に観たかもしれない、
ゴッホの「鋤と馬鍬(すきとまぐわ)」
が気に入ったからか、
そのあたりの記憶はハッキリしないのだけど、
とにかく、たぶん、ゴッホの絵がきっかけで、
青と緑の中間の、少し白を混ぜたような色を
気に入ったのだ。
あまりに素敵で。
いずれにせよ、
当時趣味で自分が使っていた油絵具のセットにはなかった色だったので、
住んでいた四国の田舎の画材屋さんで
ホルベインのチューブ絵具の、
単品をわざわざ探しまわって、
とても近い色のをようやく見つけ、
買い求めた。
しかも、まったく使わずに、ただ始終眺め、愛でるだけ。
まだ10代の中学生か高校生にしてはませた、
いっぱしの青緑色フェチだったかもしれない。
今も油絵具の色としてすごく好き。
3. ブルーグレー。服の色として。
色の好みとしては幅広く、
ブルーとグレーの配分がどちら寄りでも好き。
映画「ティファニーで朝食を」で、
ジョージ・ペバードがはいていた、青みの少し入ったブルーグレーのフランネルのパンツ。
映画を視聴する部屋やモニターの明暗によっては単なるグレーに見えるかもしれない。
でもやっぱり青みの少なめのブルーグレーだと思う。
映画ではヘリンボーン柄のライトグレーのツィードジャケットや紺ブレザーとの相性が抜群だった。
この映画で使われたジョージ・ペパードの衣装は、アメリカントラッドのファッションが好きな人には教科書みたいなものだろう。
映画「スティング」で、
ロバート・レッドフォードが着ていたブルーグレーのスーツ。
生地はツィードでもフランネルでもなさそうだったが、カッコよかった。
同じくRレッドフォード出演の映画「さらば愛しきアウトロー」で、
彼が着ていたブルーグレーのスーツは特に秀逸。
そりゃブルーグレーの色は、
白人で金髪で、
しかもレッドフォードのようにカッコいいからこそ似合っている、
とも言えるが。
極めつけは、ジャック・タチの映画「プレイタイム」。
空港職員たちの服やバスやビルの色が皆、基本的にブルーグレー系。
そして画面全体もブルーグレー調。
大好き。
皆、ステキだ。
そして服の色としては、それら映画の衣装もいいが、
最近のテレビドラマ「時をかけるな、恋人たち」の、
タイムパトロール隊の制服? で、
伊藤万理華の服のブルーグレーの色や、
瑛太の服で、えんじ色に近い赤系に
青が強めの、ブルーグレーとの組み合わせもいい。
これは、イングランド、サッカークラブの、
ウェストハムのホームユニフォーム、
えんじ色と水色の組み合わせに共通する感覚かも。
とても好きな配色。
僕自身、ツィードのコートやジャケットが大好きで、
今まで古着屋でかなりの数を買ったものだが、
まだ典型的なブルーグレーの、ツィードのコートは持っていない。
欲しい。
唯一近いのは、ツィードではないが数年前に手に入れた、
少しグレーというか白の混じったような紺系のアクアスキュータムのステンカラーコート。
上物だ。
ブルックスブラザーズのブルーグレーのパンツを1本持っていて、
ジョージ・ペパードみたいにカッコよくは
いかないまでも、
グレーのツイードジャケットに合わせている。
こうやって考えてみると、基本は青系統が好きなのか。
2番の青緑色はちょっと路線が違うかもだけど。
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レトロ食堂 ふたたび
http://natsume1.exblog.jp/33543522/
2023-11-19T18:11:00+09:00
2023-11-19T20:34:29+09:00
2023-11-19T18:10:52+09:00
y_natsume1
京都 奈良 滋賀
2023年11月某日。
1年数ヶ月ぶりに 再訪叶う。
写真は
山椒をかけた 他人うどん。
あー、おいし。
元気 出た。
おっちゃん、おばちゃん、 ありがとうね。
関連記事:
「京都滞在最後のお昼ごはん」
「きつね vs たぬき」
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三笠の山 春日の森 神様のお使い
http://natsume1.exblog.jp/33543519/
2023-11-19T18:10:00+09:00
2023-11-19T20:34:57+09:00
2023-11-19T18:09:39+09:00
y_natsume1
京都 奈良 滋賀
2023年11月某日。
天の原 ふりさけ見れば春日なる
三笠の山に出(い)でし月かも
(阿倍仲麻呂、 古今集、百人一首)
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大きな 大きな お姿
http://natsume1.exblog.jp/33543516/
2023-11-19T18:08:00+09:00
2023-11-19T18:08:44+09:00
2023-11-19T18:08:44+09:00
y_natsume1
京都 奈良 滋賀
2023年11月某日。
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初瀬 菊の花
http://natsume1.exblog.jp/33543512/
2023-11-19T18:07:00+09:00
2023-11-19T18:07:33+09:00
2023-11-19T18:07:33+09:00
y_natsume1
京都 奈良 滋賀
2023年11月某日。
人はいさ
心も知らず
ふるさとは
花ぞ昔の
香ににほひける
(紀貫之 古今集、万葉集)
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葛城の 霧にかすむ二上山
http://natsume1.exblog.jp/33543507/
2023-11-19T18:05:00+09:00
2023-11-19T18:06:27+09:00
2023-11-19T18:05:38+09:00
y_natsume1
京都 奈良 滋賀
2023年11月某日。
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呑み鉄は 大和の国に向かう 〜近鉄特急 他各路線〜
http://natsume1.exblog.jp/33543503/
2023-11-19T18:03:00+09:00
2023-12-03T17:03:24+09:00
2023-11-19T18:04:11+09:00
y_natsume1
京都 奈良 滋賀
2023年11月某日。
例えば、
東海道新幹線のぞみ だと、
従来のN700系だけでなく、新型のN700Sでも、
座席にドリンクホルダーがない。
テーブルにビールなんかの缶をのせても
設計や振動検査上はたぶん問題ないのだろうけれど、
心理的には缶を倒さないかと多少心配しつつ飲んでいる。
結局、座席前のネットに飲みかけの缶ビールを入れて
引き続き飲むことにする。
それで安心感を得る。
吞み鉄にはちょっと残念なところ。
その点、近鉄といえば、
以前から利用して知ってはいたけど
今回乗車した22000系の近鉄特急には各席にドリンクホルダーがあり、
レギュラーシートでも座り心地はふかふかで、
昨年9月の京都滞在1か月のあいだに改めてファンになった。
関西に来て近鉄で移動する際は(特に奈良方面では)、
時間的には急行でもいいのだけど、
特急券を買って、
ドリンクホルダーのおかげで安心してお酒を飲みながら
鉄道旅を楽しんでいる。
ドリンクホルダー、大事。
近鉄特急には路線によっても様々なタイプの車両があるみたいだから、
いろいろ乗車して楽しみたい。
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石原裕次郎の言葉の功罪
http://natsume1.exblog.jp/33521883/
2023-11-05T12:31:00+09:00
2024-01-09T08:03:23+09:00
2023-11-05T12:31:37+09:00
y_natsume1
映画言いたい放題
石原裕次郎が、映画「黒部の太陽」(1968) や「栄光への5000キロ」(1969) について語ったという言葉。
正確な表現の引用かどうかはわからないが、Wikiでは次のように出ている。
「こういった作品は映画館の大迫力の画面・音声で見て欲しい」
「(映画は)劇場で見るもの」
そういう強い意志を持っていたという。
それゆえか、2013年に初めてDVD化、Blu-ray化されるまで、
これらの作品はずっと何年もソフト化されずにいた。
石原プロや石原軍団と言われる人たちのいる世界が、
もしかしたら、いわゆる任侠世界と同じというか、
親分が黒いものを白と言えば子分たちもたとえ黒であっても白と言うような、
強烈な縦社会だとすれば、
そのせいかもしれないが、
とにかく石原プロが裕次郎の言葉を律義に守ったせいで、
何十年もずっとソフト化されずにいた。
それなら石原プロは責任をもって定期的に映画館で公開するのが筋というものだろう。
しかし、
(震災後の特別上映企画や抽選による臨時上映会などの極めて限定的な機会を除いて)
それをしなかった。
石原プロは親分の裕次郎には筋を通すくせに、
映画ファンには筋を通さなかった。
TV放映も、僕が小学生や中学生の頃に観て以来、なかったと思う。
映画の著作権の話は別としても、
映画を楽しむ、という点では、
映画は裕次郎個人だけのものではなく、
熱狂的な映画ファンのみならず、一般人みんなの共有の文化財産だと思うのだが、
裕次郎の言葉のせいで、
結果として、何十年もこの2作品を観たことがない世代を産み、観たくても観られない人々を大勢増やした。
裕次郎の言葉の、深い深い罪の部分だ。
かといって、罪ばかりではなかったのではないか、良い面もあったのではないかと、
最近 考えるようになった。
功績の側面だ。
「映画は劇場で見るもの」
・・・・ これは映画についての普遍的で本質を突いた言葉なのではないかと思うようになったのだ。
きっかけは「アラビアのロレンス」とジャズのアルバムだ。
裕次郎の、「こういった作品は映画館の大迫力の画面・音声で見て欲しい」 という言葉には、
前提として冒頭の2作品のような、あるいは「アラビアのロレンス」のような、
いわゆる大作映画が念頭にあったのではないかとは思う。
単純に大きなスクリーンで観て欲しいという、サイズの問題として、だ。
石原プロが製作にかかわった一連の映画にわりと共通するテーマは、
第2次大戦での敗北により荒廃した日本を、
復興させていった男たちの骨太ドラマ、
彼らへの賛歌、
だと思われる。
それにはお金をかけた大作を、という図式だったのだろう、たぶん。
大作だから映画館の大きなスクリーンで観て欲しい、
なぜなら映画館にお客さんが戻ってきて欲しいから、
そういう気持ちではあっただろう。
いや、むしろ逆で、
お客さんに映画館に戻ってきて欲しいからこそ、
映画館で観たいと思わせるような大作でやりたかったのだろう。
でも、今思えば、
映画を製作したいなら、
大作映画だけが映画ではないのだし、
小規模な映画ならTV放映で観るので十分という考えならそれこそ偏見というものだし、
テーマや企画によっては小規模でアーティスティックな作品もあり得たと個人的には思うのだが、
裕次郎の考えはそうではなかった。 大作にこだわったし、だから金策には苦労した。
きっかけの話にもどると、
最近、「アラビアのロレンス」や「ベンハー」、「タワーリングインフェルノ」などを自宅でDVDで観かえしていて、
どれもリバイバル時に映画館の大きなスクリーンで観たことのある作品ながら、
良い作品は自宅のテレビモニターで観ても
良いものは良い、とは思った。
しかし同時に、裕次郎が言うように、
映画館の大きなスクリーンが そりゃあ似つかわしい作品群だとも思った。
じゃあ、やっぱりサイズが、大きさが、問題なんでしょ、
大作映画でなければ、
映画館で観ても、配信をスマホで観たり自宅でTV放映を観たりしても、
同じではないの?
と自問自答した。
確かに、映画のストーリーを「知る」という点では映画館で観ても、配信やTVモニター等で観ても、同じだろう。
だけど、ちょっと待てよ、と。
考えるきっかけは大作映画だったけど、
裕次郎の言葉には サイズの問題以外にも、
裕次郎自身が当時は深く考えもしなかったかもしれない、大事なことが他にもあるような気がしてきたのだ。
僕は、映画を「味わう」という意味では、
大作であるかどうかに関係なく、
どんな映画でも、
映画館での映画鑑賞は、どうもスマホやTVモニターでの鑑賞とは違うところがあるように思う。
裕次郎の言葉にある「映画は映画館で観て欲しい」につながる、TVモニターでのDVD鑑賞との違いは、何か?
大作に限らず、たとえ小規模な作品であっても映画館で観た方がいいなら、その違いは何だろうか?
僕は単なる一般の映画ファンで、
映画批評家などの専門家でもないし映画の製作スタッフでもないから、
あくまで僕個人が考えた感覚みたいなものなんだけど、
考えに考えてみた。
それはおそらく、
画面の質感や色彩、
音響の適切なボリューム、
席を立つ以外に逃避できない映画館での上映時間の長さ、
同じ場所で同じ時間帯に皆で観る高揚感や一体感、
映画館という空間そのものの楽しさ、
などではないだろうか。
上映時間の長さ自体に、
もしかしたら映画制作者の意図があるのではないかと思われることがある。
予算や1日当りの上映回数からくる編集上の制約ではなくて、
監督たちの意図として。
ストーリーや伝えたいことを表現していくと2時間程度には収まらなかったと思われる作品がいくつもあるし。
例えば、
青山監督の「ユリイカ」とか、
濱口監督の「親密さ」や「ハッピーアワー」とかね。
こういう作品は上映時間の長さや流れ自体に意味があって、
タイパの倍速視聴には全然なじまない(他の作品だってそうだろうけど、これらの作品は特に、ということだ)。
味わうには、等速での「間 (ま)」 が大事だし。
そして大きなスクリーンで観ると、
(今はデジタルで大きな違いはないだろうけど昔のフィルム作品だと)
その質感や明暗、色彩などは
TV放映と違って、やっぱり味わいがある。
そして、音響だ。
ある時、あるジャズのアルバムを、自宅でボリューム小さめで聴いていたことがある。
ヘッドホンは嫌いだし。
だけど別の時、同じアルバムをボリュームを大きくして聴くと、まったく別の作品に感じたことがあった。
もしジャズ喫茶でJBLのスピーカーで聴けば、
そもそも設備が違うのだから印象が違って当たり前、
という感じですぐに納得するのだろうけど、
同じ条件下の自宅のミニコンポでも、
ボリュームの違いによって
全く別の作品にさえ思える、
というような経験をしたわけだ。
音が大きいときの方が、同じアルバムなのに音楽としては良い作品に聴こえた。
音楽の音にも一定の分量が、 必要なのだと思う。
ここで大事なポイントは、
決して音の大小そのものではなく、
作品にふさわしい、最低限の適切なボリュームレンジがあるはずではないのか、
という点だ。
映画も同じようなことが言えると思う。
単純に音が大きければ何でもいいわけじゃない。
映画でも各シーンに合った適切なボリューム帯があるはずだということだ。
映画の作り手はさすがに今でも映画館での鑑賞を前提に、
音響や録音レベルを考えて制作しているはずではないか、と。
違うかな?
配信だけ考えて作っているとまでは思えない。
大作に限らずどんな映画でも、
俳優のつぶやきや ささやき程度の小声のセリフや、
映画に使用されている音楽、
ガラスの破片を踏みしめた際の足音とか、紙の擦れる音とかの、
効果音などの音響の面でも、
映画館でのバランスを考えて録音し、制作しているはずだ、と。
ストーリーが知れて、聞こえればいい、認識できればいい、のであれば、確かにDVD鑑賞でもいいのだけど、
映画のストーリーを「知る」だけでなく、
映画を「味わう」には、
やはり映画館のスクリーンと音響が、
より適していると考えるに至ったのだ。
話は少し違うが、
有名な画家の絵を、
実際に展覧会で生で見るのと、
画集で見るのとでは、
色彩が明らかに違うことは以前にも書いた。
人間の肉眼で網膜を通して認識する色彩は、
画集の写真とは明らかに違う。
人間の肉眼では光がないと色彩を認識できない。
そのメカニズムが画集と本物の絵とで、どう違ってくるのかまではわからないけど、
違うのは確かなのだ。
だから、できれば展覧会で本物を見たい。
画集を見たからといっても、
展覧会で本物を見ていないなら、
その絵を見たとは、世間一般ではあまり言われないよね。
それと似たような考え方で、映画もできれば映画館で観たいし、それが本筋、王道ではないか、と思った。
「(映画は)劇場で観るもの」 という石原裕次郎の言葉は、
スマホや配信やDVDなどが存在するようになった今の時代に、
かえってとても示唆に富んだ言葉に思える。
映画館を大切にしようという鼓舞の、よりどころともなり得る、
彼の言葉の、功績の側面ではないだろうか、と。
・・・・ とは言いつつ、
現実では僕は映画館にはなかなか行けないことも多く、
倍速視聴もDVD鑑賞も結構やっているので、
ホントは偉そうなことは言えないんだけど。
上記のようなことを、
DVD「アラビアのロレンス」をかけつつ、
ブルーチーズをつけたバゲットに
リオハの赤ワインをがぶ飲みして
ずっと考えていた。
映画についてとりとめもなく考えるなんて、
なんて幸せな時間だろうと思いながら。
しばらくして、開けていた窓から、
「いつでも夢を」
という曲がアコーディオンの伴奏で、
かすかに聞こえてきた。
いい曲だなあと思った。
不定期に、祝日や週末なんかに、
近所のシニア施設で
クラッシックのバイオリンのミニコンサートやカラオケをやっていることがあって、
そこからの音だろう。
「いつでも夢を」と「アラビアのロレンス」。
ヘンな取り合わせ。
ワインはかなりおいしい。
♪ テーマ曲 「いつでも夢を」 by 橋幸夫&吉永小百合 ♪
関連記事:
「三枚舌 舌先三寸 舌の根も乾かぬうちに 映画「アラビアのロレンス」 」
「映画の画質 画面の質感:「仁義なき戦い 広島死闘篇」(1973) &「ケイコ 目を澄ませて」(2022)」
「栄光への5000キロ」
「赤も白も鮮やかにハイライトする ~佐伯祐三 於・東京ステーションギャラリー~」
写真は赤いのがチェリーセージ、薄紫色のが菊。
このコンビのパターン、わりと多いかも。
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森の中へ 花のそばに そして懐かしのラーメン店
http://natsume1.exblog.jp/33510836/
2023-10-27T23:24:00+09:00
2023-11-05T12:59:34+09:00
2023-10-28T14:13:29+09:00
y_natsume1
Moon
毎週末、明るいうちから家で飲んだくれている。
白ワインやシャンパンとか、ウィスキーとか。
さすがにこればかりではいかん、と、
いいかげん、外に出て 歩くことにする。
温暖化のせいか、この数年夏がとてつもなく暑くて、しかも長い。
そのぶん、春や秋がすごく短くなったように感じる。
短い秋の気候を、
今のうちに味わっておかなきゃということもあって、
外に出て 歩く。
森の中。
花のそば。
花は秋桜はじめ、いろんなの。キレイ。
下の写真は、まずは 森。
アメジストセージ。
コスモス レモンブライト。
コスモス センセーション。
他にもいろんなの。名前は表示板で見たけど、忘れた。
もえぎ色が鮮やかで気に入った 木。
けっこう歩いた。
3時間近くは 歩いたかな。
・・・・・・ その後 場所を移動して、
1980年代の学生の頃、
何度も通ったラーメン店へ。
当時、下宿の近くには夜に食べられるお店が極端に少なくて、
今ほどコンビニもなくて、
夜に開いているのは居酒屋とかこのラーメン店ぐらいしかなかった。
休日には昼から飲むようになった今の僕には考えられないほど、
あの頃はお酒もほぼ頂かず、居酒屋に入る気にもならず、
お金も乏しく、つましい生活だった。
で、このラーメン店には夜の授業の帰りなんかによくお世話になった。
ここの塩ラーメンは抜群にうまい。
(お店の一番人気は味噌ラーメンなんだけどね。僕は塩派だった。)
でも今の自宅からは遠くて、なかなか来られないでいた。
大学を卒業してからは、
ようやく思い立って 5年前に1度、2年ほど前にもう1度訪問し、
代替りした店主の息子さんと初めて話したりして、
今回はそれ以来で、卒業後ようやく3度目の訪問。
サッポロ黒ラベルとおつまみセットの次に、
写真はないけど、定番の塩ラーメン。
澄んだスープは酒のアテにもちょうど合う。
相変わらず すごく うまい。
結局、 今日も 昼間から 飲んでいる。
あー 幸せ。
♪ テーマ曲 「山辺に向いて」 by 岡林信康 ♪
*****
(追記)
この日の夜、帰宅して日本酒を飲みながら、
家の窓から、
近所の家とのはざまの上方で 月がとてもきれいに見えた。
窓の側まで身体を動かして
首をのばさないと
見えにくい角度ではあるけれど、
なんとか見えた。
あとで調べたら、ちょうど十三夜のお月様だった。
今年は先月の十五夜の月に続いて、十三夜の月も見ることができたことになる。
どちらかしか見ない、見れないとなると、
縁起の良くないと言われる「片見月」(あるいは「片月見」)になる。
それにならずに良かったのか。
いや、そもそも片見月は、
昔の吉原遊廓の、
戦略だったという説もある。
お月見の時だけは 遊女たちは、
お客さんがたいへんな額のご祝儀を出してお店を通して正式に誘い出せば、
吉原の外に出られるしきたりで、
しかも
男がいくら金をつもうと、遊女が同意しないと店外デートは成立しない。
お客さんと遊女とはいえ、男の片想いだけではダメで、
お互いに気に入った人でないとできないのだ。
まさに両見月、みたいな感じ。
お店にしてみれば、
片見月にならぬようにというもっともらしい理由をつけて、
ごひいきのお客さんから大金を出させて、
お月見店外デートを1度ならず2回はしてもらおうという、
テイのいい金儲けの方法、
という面があったのだと。
ホントはどうなのかは知らない。
僕は大金は持ち合わせていないし、
そもそも僕には
お金を払っても
吉原から連れ出せるような 「良いヒト」はいないが、
いずれにしても、
片見月であろうとなかろうと、
美しい月を見るたびに、
逢うことのかなわぬ
月子さん(仮名)を想う事に かわりはない。
別世界にいる月子さんを連れ出せるわけでもないしね。
日本酒を飲み、月を眺めながら思った。
もう、始終むりやり冬を生きている必要は、ないのかもしれない。
何かを一つの色に閉じ込めておく事も、もう、しなくていいのかも、と。
この日のラーメン店で感じたように、幸せだと思えたのなら、
僕の あの人たちに対する復讐は、
既に十分に果たしているのかもしれない。
少なくとも、この30年以上、
あの人たちが僕の人生に入って来ないでいてくれて、
僕が 幸せなのは 確かだ。
そう 感じた。
秋の 虫の鳴き声が かすかに窓辺から聞こえた。
妖精たちのように。
月子さんも 耳にしているだろうか。
そうだといいな。
できることなら、
月子さんのふくよかな乳房に、僕の顔を 押しつけるようにうずめて、
そして
この日見ていた小さな秋桜を思わせる その乳首に
そっと口づけをしたら、
すぐに
一緒に
どこまでも遠いところへ
歩いていければいいのに。
ぶどう色の 破滅的なあの頃の夜明けを 見るために。
破滅的な あの頃の 夜明けを。
そのとき もう 月は 隠れているんだろうね。
♪ 追記のテーマ曲 「雨の街を」 by 荒井由実 ♪
関連記事:
「呑み鉄は 駿河に向かう 〜東海道線 身延線〜」
「反骨心が一気によみがえる場所」
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三枚舌 舌先三寸 舌の根も乾かぬうちに 映画「アラビアのロレンス」
http://natsume1.exblog.jp/33502516/
2023-10-22T14:08:00+09:00
2023-11-03T08:31:51+09:00
2023-10-22T16:48:39+09:00
y_natsume1
過去の映画評「あ」
映画「アラビアのロレンス」を初めて観たのは、
中学2年の頃、水曜ロードショーのテレビ放映で。
(以下、映画のネタバレを含みます。)
映画終了後の水野晴郎の解説で、
映画のラストで主人公ロレンスが乗った車をオートバイが追い越していくのは、
過ぎ去った夢、
かなわなかったロレンスの希望(つまりアラブの独立)、
を表現しているのかもしれませんね、
というようなコメントがあったと思う。
この作品は素晴らしい。
戦闘シーンもある大作にして芸術的。
撮影、音楽、衣装、編集、脚本、演出、美術、俳優。
それら以外にも。
書ききれないけど どれも一級品。
マッチの火を消すシーン、
朝日が昇るシーン、
数分かけて何もない砂漠から次第にアリが現れるシーン。
最初のテレビ放映の後、
何年かしてもう一度テレビ放映で観た。
高校を卒業して東京に出てきてからも、
新宿の映画館でリバイバル上映とか、
さらにはDVDやBlu-rayでも、
何度も観た。
それなのに、この映画の内容で
なぜかずっと分からなかったことがある。
歴史好きの中高生だったので、
表面上はオスマントルコ帝国からのアラブ独立を支援するイギリス、
しかしてその真意は
第一次大戦を有利に進めるためであり、
中東の石油やスエズ運河など、
地政学上の陣取り合戦、
という図式は大雑把にはわかった。
わからなかったのは、
アラブの人たちの、名前の呼び方だ。
これは後にマレーシアに駐在したおりにも感じた。
映画からは少し脱線するけど、ムスリムの名前。
苗字、姓がない。
ファーストネームの次には父や祖父の名前を続ける。
ビンは息子、ビンディは娘。
例えば、
アブドラビンモハマドさんは、
モハマドの息子のアブドラ。
ビンやビンディが入らないこともある。
姓だと思ってミスター・ビンモハマドと呼んでは
おかしな事になる。
モハマドは本人の名ではなく父の名だし、
姓は存在しないから、
あくまでアブドラさん、とだけ呼びかけるのが正しい。
映画 「アラビアのロレンス」でわからなかったのは、
ロレンスが、
アラブの少年たちから、
オレンス、とか、
エルオレンス、とか、
言われてたこと。
なぜにロレンスではないのか。
皆、映画観てて不思議じゃなかった?
僕はわからないまま、
何年も過ごして大人になった。
いつだったか、ネット検索したら少しだけわかった。
どうやらアラビア語の発声技法や定冠詞に起因するのではないかというもの。
アラブ人が Lawrence のLをアラビア語の定冠詞とまちがって思い込むと、Awrenceという名になってしまう。
というか、アラビア語で私はロレンスです、と言えば、
語順や単語の発声から、
オレンスです、みたいに聞こえるらしい。
それでアラブ人たちからはオレンスという名で、
呼ばれる。
(映画では英語なんだけどね。)
やがて少年たちやアリから、
尊敬を込めて、オレンスの頭にエルをつけた呼び方をされたりしてた。
エルは定冠詞らしい。
尊敬に値する偉大な人物には、
定冠詞をつけて呼びかけるのだそうだ。
確か映画では、ロレンスは偉大な人だと、
アラブ人たちから認められたシーンで
あなたはエルオレンスだ、
いや私はただのロレンスだ、
みたいな会話がなされていたと思う。
中東のサッカーチームでも、
アルアハリとか、アルヒラルとか、
アルが付いてて、あれも定冠詞なんだそうだ。
どういう意味でそうなっているのかは知らないけど。
ふーん。
そして映画の背景にある、
イギリスの三枚舌外交についてもネット検索。
フサイン・マクマホン協定:
オスマン帝国に反乱を起こしてかき回したらアラブ独立を認めるよ、というイギリスのアラブに対する約束。
サイクス・ピコ協定:
イギリス、フランス、ロシアによるオスマン帝国(中東)分割計画。
第一次大戦が終わったらフランスにシリアをあげるよ、とか。
密約。
ロシア革命で明らかに。
バルフォア宣言:
イギリスの外相バルフォアがユダヤ系のロスチャイルド卿に、シオニズム運動に賛成しユダヤ居住地を作る支援をするとした書簡。だから第一次大戦の戦費(お金)をよろしくね、ということ。
(最近、wikiで英語原文の書簡を読んでみた。その通りの内容だった。短いからすぐ読める。)
学説?にはそれぞれの協定などでうたわれている適用地域や範囲、その文章や言葉使いの点で、イギリスの外交方針に矛盾はないとする意見もあるらしい。
しかし、
全体を見れば、
同じ土地を3者にあげるとほぼ同時期に約束しているわけで、
ずるがしこい言葉使いで表面上いくらとりつくろっても、
やはり本質は矛盾している。
こんなの、イギリスの身勝手もいいところで、
今日の紛争の元になっていると、
まともな人間なら思うはずだ。
当時の列強国の帝国主義からしたら、
植民地の人間は人間扱いされなかったのだろうし、
一国の外交がしたたかであるのはイギリスに限らないのだろうけど、
それにしても道義的にも、人道的にも、ひどい話だ。
狡猾なイギリス外交と片付けるにはあまりに悲惨すぎる、
今日まで多数の人命が奪われることになった元凶の一つだ。
映画では、
アラブ独立を支援していたはずのイギリスが
実は一枚岩ではなかったと、
ロレンスの(いわば青春の)挫折で終わるのだけど、
現実はそんなレベルではさらさらおさまらないし、終わらない。
この件に関してイギリス政府は本当にひどい。
第二次大戦後、イギリスはパレスチナ統治を国連に返上する。
返上して済む問題か。 返上するしかなかっただろうけど。
アラビアのロレンスの話に戻ろう。
映画の冒頭、
制作スタッフや俳優のクレジットが紹介される中、
画面のほぼ左上、
上からのカメラアングルで、
後ろ姿でひたすらバイクの整備、準備をする
ロレンス役のピーター・オトゥールの演技が、
大好き。
観客の目線はクレジットに行きがちだけど、
そして、
小さなシーンだけど、
よく観ると感動する。
バイクを拭いていた布きれをさっと投げるシーンとか。
顔は映らないのに、たんたんと演技していて好感。
このシーンでの衣装も、
キチンと折り目のついたグレーのフランネルのトラウザーズに、
同じくグレーのジャケット、
くすんだ緑色の靴下、
茶系の革靴。
とてもカッコいい。
緑色はイスラム教徒の縁起のいい色。
まさかこの映画の衣装担当がそれを知ってて選んだかどうかは分からないけど、
コーディネートは最高。
この作品でピーター・オトゥールが
アカデミー主演男優賞を取れなかったのが、
残念でならない。
しっかりとした演技力と見目麗しいイケメン、
特に、
心の底に狂気をはらんだようなエキセントリックな目つきが、
印象的でとても良い。
この役柄に合っている。
まだ映画デビュー3作目でこの存在感は見事だと思う。
♪ テーマ曲 「アラビアのロレンス」 by モーリス・ジャール、サウンドトラックより ♪
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26回目の ある特定の 秋の日
http://natsume1.exblog.jp/33490615/
2023-10-15T14:19:00+09:00
2023-10-30T15:45:04+09:00
2023-10-15T14:30:31+09:00
y_natsume1
日々の雑文
はやいもので、
あれから26度も秋が巡ってきたことになる。
花を たむける。
7月に撮ったルドベキアの写真。
先月のアサガオ。
菊と藤袴。
菊とチェリーセージ。
♪ テーマ曲 「26番目の秋」 by 岡林信康 ♪
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