カテゴリ
Entrance ようこそ
Biography 略歴
夏目芳雄の著作物
Moon
アジア的独白
鎌倉湘南Seaside
酒×酒
Back Street Days
四国
Music Bang Bang
Jazz Night
ビートニク
マレーシア駐在記
シンガポール
ベトナム
南の島
韓国
中国
キューバ
メキシコ
アメリカ
Books
日々の雑文
子供語録
ごはん
映画言いたい放題
過去の映画評「あ」
過去の映画評「か」
過去の映画評「さ」
過去の映画評「た」
過去の映画評「な」
過去の映画評「は」
過去の映画評「ま」
過去の映画評「や」
過去の映画評「ら」
過去の映画評「わ」
その他
以前の記事
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2012年 12月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 11月
2005年 10月
2005年 09月
2005年 08月
2005年 07月
2005年 06月
2005年 05月
2005年 04月
2005年 03月
2005年 02月
2005年 01月
2004年 12月
2004年 11月


色について


(注)マレーシア駐在時の文章:

小学生の頃から趣味で油絵やグアッシュの水彩画を描いていた僕は(・・・なんて書くと、何と小生意気な子供だろうと思われるかもしれないけど、本当なのです・・・)、自分でも知らず知らずのうちに、色に関心を寄せていることがあるようだ。僕は色の話題にふれることが多い。

小さい頃に好きだった色で、今でも好きなのは、青だ。空の色(コバルト・ブルーやセルリアン・ブルー)、群青色(ウルトラ・マリン)などで、青色系統はとても好きである。一方、大人になるにつれて、対象によってその興味が沸く色も徐々に変わってきた。日常的には緑が好きだし、衣服ならば黒や茶系が良いし、建築物であれば、煉瓦色や真っ白が好きだ。写真ではモノトーンというか、白黒写真が好きである。

これは母親をはじめとする僕の幼年時代の家族の影響があると思う。僕には父親や兄弟がおらず、家族は母方の祖父母と母であった。家庭としてはごく普通の、少しばかり生活に苦しむような田舎のそれだった。しかし、僕にとって幸運だったのは、祖父の教養の深さもさることながら、母や祖母が色彩感覚に優れ、文化的素養もある人たちであったことだ。高等教育を受けていない四国の田舎のオバハンたちとしてはかなりのものだったと思う(注)。

僕が小学校低学年の頃、祖母からは和服の帯の色使いや、往年の名作映画「格子なき牢獄」でのモノトーンの良さをよく聞かされた(それでもこの映画はまだ観たことがないけれど)。また、母親は僕がスケッチをしていると、色の選び方に加えて遠近法の話をぶつぶつ言っていたような気がする。

特に、当時、幼い僕に祖母が話してくれた「もえぎ色」や「紅をさす」なんていう日本語は、その語感も色彩感覚も、本当に素晴らしいものと思う。

さて、クアラルンプールに赴任してきた時、まず思ったのは、この国が「原色」の国だと感じたことである。南北ハイウェイの車中から見えるプランテーションのパームツリーなどの緑。ヘイズ(煙霧)が出ていない時の真っ青な空。僕にとってのマレーシアは「原色」のイメージである。

黄色はマレーの王族の色である。だから、街で見かけるフェラーリやポルシェなどが黄色だった場合、その車は王族の子弟が乗っている場合がある。現在は王族の黄色を気にする庶民も少ないようで、一般市民でも違和感なく黄色の車に乗っている。もちろん、フェラーリならば、黄色よりもイタリアン・レッドであって欲しいと思うが。

華人は結婚式などのおめでたい時や旧正月を祝う時は決まって赤を使う。旧正月にお年玉としてあげる場合の「アンパオ」は赤い袋という意味であるし、お祝いの垂れ幕や結婚式の招待状なども常に赤地に金色の字で書いている。

イスラム教徒のおめでたい色は緑だから、マレー人にとってのラッキーカラーも、緑である。当然、マレーシアだけでなく他のイスラム教国でも、緑は縁起ものである。僕の住んでいたコンドミニアムのソファは、入居当初は緑色であった。けれど、家具が緑色というのはどうも変な感じがして、別の色に変えてもらったことがある。前の入居者はマレー系だったのだろうか。


色はさまざまな例えにも用いられる。日本語だと、「誰かの色に染まる」だとか、「人生はバラ色」などという慣用的な言い回しがある。僕の人生もお金と美人のお姉ちゃんたちにかこまれて、単純にバラ色だといいのだろうけれど、毎日が勝負であるから、そんなことをいちいち考える余裕はない。一方、マレーシアのイメージは「原色」だと言ったが、はたしてそれが緑(マレー系)なのか、赤(華人系)なのか、黄色(王族)なのか、僕には今もってわからない。もしかしたら特定の色はないのかもしれないし、原色でなく混ざり合った薄いパステル調なのかもしれない。

色といえば絵画だ。マレーシアにも質の良い絵を展示する画廊や美術館、展覧会などがもっとあればいいのにな、と思う。絵を通して良い「色」を味わいたいものだ。庶民レベルで良い美術館・絵画になかなか巡り合えないのは、どうしてだろうかね。イスラム教の偶像崇拝禁止だけが理由とも思えないんだけど。

(注)
四国の人々を蔑視するわけではないけれど、祖母や母は、自分らのことを決して四国の田舎者とは思っていないし、思いたくなかったであろう。そういう気概だったという感じがする。

大阪生まれの大阪育ち。それも大都会の出身であった。第二次大戦で仕方なく、祖父の実家のあった四国に疎開し、それ以後住みついただけのことなのだ。田舎の疎開生活での陰湿ないじめや、人間の尊厳を傷つけられるような出来事には、大変に悔しい思いがあったと聞く。だから、二人とも、島国根性の四国よりは、本当は大阪のような都会の方がカラっとしていていいと常々言っていた。

祖父はいつも寡黙であったが、その内心はどうであったろうか。昭和12、3年(1937、8年)頃の冬に、祖父と幼い母の、大阪の十合百貨店屋上で撮ったセピアカラーの写真が今でも残っている。

祖父は仕立ての良さそうな、なかなかに趣味の良い厚手のコートを着て二枚目に写っている。高価なコートだったろうと思う。この頃が彼の一番幸せな時期だったのかもしれない。

僕は祖父を想う時、常にその服飾についてのセンスの良さを感じずにはいられない。僕にはとても祖父ほどのセンスはないと思ってしまう。

祖父が亡くなってから、僕自身も挑んではみるのだが、サスペンダーやボウタイなどを身につけた祖父の写真を何枚か見るたびに、「ああ、また負けた」とニヤリとし、そしてその着こなしにはいつも感動し、尊敬するのであった。

単なる着こなしだけではなく、彼はスタイルそのものもお洒落な男だった。今でこそ外出前にシャワーを浴びることなど、日本では珍しくもないが、昭和30年代の昔から、彼は人に会う時は、まず真っ昼間から風呂に入り、ひげをそり、髪に櫛をいれて、身なりを整えてから出かけたものである。東京や大阪のような都会ではなく、四国の田舎での話である。

おっと、話が少々ズレたが、とにかく、祖父に負けず劣らず祖母や母も、教養と文化に理解のある都会っ子を自負していたのは確かだ。そして、鮮やかな色彩感覚が彼女たちにはあった。特にお金持ちというわけでもなく、いわゆる中産階級からもほど遠い生活であっても、その心はお洒落で粋な人たちであったと思う。
[PR]
by y_natsume1 | 2004-11-13 14:19 | マレーシア駐在記
<< フェスタ・サン・ペドロ  於・... 名前と称号 >>