自分なりの感覚として、友人の数は少ない方だと思う。
知り合いが多いように見えるらしいが、単なる一面的な見方だ。
本当はそうでもない。
「友人」という名の取り巻きが多くいたってしょうがないしな。
そもそも数は問題ではないんだろうな。 確かに友人の数は少ないと思うけど。
ましてや親友と呼べる人間なんて、僕にはいるにはいるが 極めて少ない、と思ってた。
どこから友人で、どこから親友なのか定義してみろって言われると自分でもよくわからないが、とにかく親友なんて呼べるのはほんのわずかで、ほとんどいないようなもんだと思ってた。
けれど、たぶん、アイツは、その極めて少ない親友と呼ぶべき人間なんだろう。
最近、特にそう思う。
国籍も言語も勤務先も出身校もしょってきた文化も歴史も、まるで違うけどね。
アイツは福建系シンガポール人だ。
ここでは龍(Ron、仮名)としておこう。
龍と僕は最初に入った会社が同じだった。
僕は東京、彼はシンガポールに勤務してた。
会社で行う東南アジア地域の研修で知り合ったのは、今からもう11年も前のことだ。
互いに20代の独身だった。
こっちはあまり英語がうまくない。中学生レベルの単語ばかりで典型的な日本人英語の発音だ。
一方、龍の方は英語教育で育っているし、北京語も福建語もできた。
それでも、深くてプライベートな話がはずんだのは、お互いウマがあったというか、相性が良かったのだろう。二人とも女性好きだし酒好きだし、何より僕も龍もストレートな性格だった。
龍の話はたとえ日常会話でも、いつも意図がはっきりしていてポイントがつかみやすい。
ヘンに恥ずかしがったり奇をてらったりしないでストレートに話すから、分かりやすいのだ。
だから、簡単な英会話でも本質やニュアンスを外さずに、いつもコミュニケートできる。
僕の英語力より、彼の話す内容のお陰だ。
とにかく、知り合って以来、マレーシアで、タイで、赤坂で、シンガポールで、六本木で、二人でよく飲んでバカ話をした。 仕事上のシリアスな話も悩みも話し合ったし、一緒に大人の遊びもした。ここでは書けないような事だけど(苦笑)。 タイでの研修中には、深夜に二人で抜け出して地元のライブハウスに行き、朝まで飲んで、殆ど寝ずにまた研修に参加したこともある(不良だね、僕らは)。
やがて両方とも家庭を持ち、子供ができた。
僕も龍も転職を経験した。
この11年間で一緒に会った回数や時間数は、決して多くはない。
もし数えたら、おそらくとても少ない方だろうと思う。
お互い、同じ国に同時期に住んだことがないのだから当り前か。
とにかく、会った回数や時間数は、決して多くはない。
けれど、いつも濃密だった。
龍が日本に仕事できた時に一緒に食事をすると、どちらが払うかでいつももめる。
ここは日本だからと密かに僕がカードで支払った後、アイツはそれを店のスタッフにキャンセルさせて自分でまた全額払っていく。 どちらが払うかでまたもめる。 いつもそうだ。 シンガポールでも今度は逆の立場で同じ理由でもめた。 カネにうるさいシンガポール人のはずなのに、何だか不思議だ。
そういった濃密さ加減が、僕にとって悪くない感じというか、僕好みの濃密さだったらしい。
独身時代、龍の家に電話をしたことがあるけど、電話に出た彼の兄の声が彼にそっくりだったのでびっくりしたことさえ覚えてる。その兄さんは1996年に・・・・。 ま、やめとこう。
そんな、濃密さだった。
Eメールでは、
Hi Brother とか
Hey Buddy などが
いつも飛び交う。
他の人には少々ストレートすぎる部分があるかもしれないが、僕らにはちょうどいい。
僕がマレーシアのクアラルンプールに駐在していた時期(1996年~99年)も、わりと何度か会った。
毎年のクリスマスシーズンにはギンギラギンのオーチャードを観に家族でシンガポールを訪れた。彼の母親の手料理を彼の実家や、結婚してからは同居する彼のコンドミニアムでご馳走になった。
東南アジアの華僑たちの生活を少し垣間見たことのある日本人ならわかるだろう。
いくら仲が良くても、シンガポールの、僕らの親の世代の人たちにはまだ旧日本軍のイメージが残っているし、いろんな事情で必ずしも日本人と本音の付き合いをするとは限らない。 だから相手の母親の手料理を実家で複数回ご馳走になるなんて、ビジネスマンとしての生活ではあまりよくある話ではない。 お前は相当信用されたか、息子(=龍)を親が信じきっているか、そのどちらかだと言った人がいたけど、ゼッタイ、後者だろうね。
とにかく、そんな、濃密さだった。
今回、2005年3月19日(土)~21日(月)、僕の家族と、休暇で来日している龍の家族とで箱根の温泉に行ってきた。
伝統的な温泉宿がいいというので、少々古風で高価だが、箱根の某宿を予約した。
その昔、孫文や竹久夢二などが宿泊したこともある旅館だそうだ。
互いの子供や嫁さんを交えて、殆ど英会話で通す国内旅行をするなど、自分でも不思議な気がするが、これも縁だなと思った。
龍の家族は皆礼儀正しく、控えめで、聡明だった。
僕の子供は英語を話せないが、会って2時間後には龍の娘さんと手をつないで歩いていた。
子供は、すばやい(笑)。
温泉宿で龍と深夜酒を飲みながら、話し込んだ。
やはり龍も同じことを感じ、考えていたそうだ。
あの頃知り合えた日本人や他の国の同期は何人もいたが、今でも親しいのはお前だけだと龍は言う。
そして、縁があるのか相性がいいのか、ほとんどブラザーだな、と。
僕は言った。
「お前の母さんの手料理はいつもうまかった。いつか今度シンガポールに行ったら、また食べたいもんだ」と。
龍は「もちろんだ、いつかと言わず早く来い」と言った。
龍はカラオケが上手だ。
本当に歌がうまい。
今でも彼に対する感謝の気持ちとともに覚えているのは・・・・・
僕がクアラルンプール駐在を終えてもうすぐ帰国するという時期に、龍はわざわざシンガポールからクアラルンプールに来てくれて、晩ご飯をご馳走してくれ、香港スタイルのカラオケ・ラウンジにまで誘ってくれた。
そこで彼が歌ってくれたのが・・・・・
「祝福」 (ツーフー)
香港の大スター、ジャッキー・チュン(張学友)のヒット曲だ。
内容は・・・・・
もう旧友に会えなくなるのは寂しいものだな しかし門出を祝おう・・・
そういう歌だそうだ(僕は北京語わからないけど たぶんね 華人ホステスがそう言ってた)。
龍の歌はホントに上手だった。
けれど、歌の内容はともかく、その日以降も、龍と僕は何度か会えている(苦笑)。
箱根は いい思い出になったよ。
龍も僕も生まれて初めて小田急ロマンスカーに乗ったんだしね(笑)。
写真は箱根湯本で撮ったもの。
向かって左から僕の娘、龍、龍に抱きつく僕の息子、一番右で帽子を取ろうとしているのが龍の3番目の娘さんだ。
龍は僕の娘に直接英語で言った・・・
「もしシンガポールに来たいならぜひおいで。アンクル龍が君のことを守るから」
彼は僕に向かってこうも付け加えた・・・
「俺んとこは娘3人で息子がいないからな、安心だろ(爆笑)」
僕は娘に先の話だけを通訳して伝えたら、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
・・・・・・箱根はまだ 肌寒いな。
・・・・・どうでもいいけど、箱根で売ってる土井製菓の「田舎くさ餅」って、すごくうまいねぇ(笑)。