「消極的」と「用心深い」は違うし、「積極的」と「出しゃばり」も似て非なるもの。
うまくバランスをとって生きていたいものです。
「中庸」とはまさに、ほどよくバランスをとった理想的な状態であることをいうのだと思います。
決して中途半端でどっちつかずというのではありません。
僕の好きな言葉で、伊達政宗の遺訓、「五常訓」というのがあります。
この「五常訓」の最も言わんとするところも、ひと言で表せば「中庸」ではないかと思います。政宗の「恭人」さ(広い心)が偲ばれます。
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(「伊達政宗五常訓」より)
仁に過ぎれば弱くなる。
義に過ぎれば固くなる。
礼に過ぎれば諂(へつら)いとなる。
智に過ぎれば嘘をつく。
信に過ぎれば損をする。
気ながく心穏やかにして
よろずに倹約を用い金を備うべし。
倹約の仕方は不自由を忍ぶにあり、
この世に客に来たと思えば何の苦もなし。
朝夕の食事は、
うまからずとも誉めて食うべし。
元来、客の身なれば好き嫌いは申されまい。
今日の行くを送り、
子孫兄弟によく挨拶して、
婆婆の御暇申するがよし。
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ちなみに、夏目漱石の「草枕」という小説で同じような表現方法がとられています。
智に働けば角が立つ。
情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。
兎角に人の世は住みにくい。
・・・・・「意地を通せば窮屈だ」けど、現実には意地を通したくなることも、浮世では多いですよねぇ。