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老水夫の歌(古老の船乗り) The Rime of the Ancient Mariner

イギリスの詩人、コールリッジの「老水夫の歌」

water, water, everywhere

で有名な詩。とても好き。

よく映画に使われている。

ジョニー・デップの「ラム・ダイアリーズ」

酔っぱらったデップが、ヨットで海に出ようとする際に
老水夫の歌のことを口にする。


もっと古い海洋戦争映画。
映画「眼下の敵」

米軍駆逐艦の艦長ロバート・ミッチャムが、
ドイツUボートのクルト・ユルゲンスとの駆け引きの際、
この詩(幻想的な舟のことをうたっているからね)にかこつけて
敵はどこにいるんだろう、と。

英語の古語の原詩で読むと、リズムはわかるが、
単語はなかなか手ごわかった。

昨夜がlast nightではなくyesternightなんて、
普通の英語の授業じゃ出てこないもんね。

water, water, everywhere

この英語の原詩がリズムがあってとても好き。
どこもかしこも 水浸し

どうしてくれよう、だよね。

お酒に酔っぱらったときに味わうことの多い、詩。

いや、歌、かな。ライムだし。

# by y_natsume1 | 2022-07-31 12:44 | その他

夏の栄光

日本映画「帰らざる日々」(1978)。


原作は中岡京平の「夏の栄光」というタイトル。

自分が今まで観た日本映画の中でベストワンと言ってもいいほど好きな作品。

最初はどこの映画館で観たのか覚えていないが、
ずっとDVDやテレビ放映で繰り返し観ている。

中岡の脚本がすばらしい。

まるでギリシャ悲劇かシェークスピアの芝居を思わせるほど。

営業上、アリスの同名主題歌とタイアップする必要があったのかもしれないが、
タイトルは明らかに「夏の栄光」の方がいい。

映画を観ればそれがわかる。

夏の、栄光。



永島敏行のどうしようもない下手な演技さえ存在感があればもうそれでいいとばかりに、
そして
これはさすがに撮り直しだろうと思えるようなシーンもそれでいいんだと勢い(?)で乗り切っているかのよう。

飯田長姫高校の木造校舎。

天竜川での材木運送のアルバイト。

父との関係。

恋人vs憧れの君。

1970年代の飯田の町並みや夏祭り。

主人公が新宿駅から中央線の特急で帰省する冒頭のシーン。

今観るからこそ秀逸。

みんな、残っていないからね。

この映画に出演した女優ふたり。実生活では後年、

浅野真弓は柳ジョージの妻に、
竹田かほりは甲斐よしひろの妻に、
なった。

この作品に匹敵する同時代の日本の映画は、たぶん、
「サード」とか「青春の殺人者」あたりだろうかね。

この作品を観て思う。

どうしようもない不可抗力にもかかわらず、結果として

親友にひどいことをされたこと、
親友を憎むことさえできなかったこと、

ありますか?


夏の栄光。

# by y_natsume1 | 2022-07-31 11:41 | 過去の映画評「か」

大阪について(5) ~習字のおっちゃんの色紙~

2022年7月13日深夜。

本棚の一角を占めるいくつもの画集の中から、

デュフィとバスキアの画集を探していたら、

隅の方に紙にくるまれた色紙みたいなものが見つかった。

開けてびっくり。

ホントに驚いた。

大阪の、習字のおっちゃんが描いた(書いた)色紙2枚。
雅号が分かってしまうが、すでに故人だしそのままUpする。


大阪について(5) ~習字のおっちゃんの色紙~_b0058966_07331431.jpg

大阪について(5) ~習字のおっちゃんの色紙~_b0058966_07330653.jpg




僕が20代の頃、気に入って香川県の実家から持ってきたものだと思う。

見るのは2~30年ぶり。

何度か引っ越しをするたびにいくつかの画集と一緒にずっとそこにあったのだろう。

あること自体を、すっかり忘れてた。

人間の記憶というものはかくも当てにならない。


とにかく、僕が習字のおっちゃんについてブログ記事を書いてひと月もしないうちに、

おっちゃんに関する昔のものが
偶然にも出てきてくれて、

良かったし、嬉しかった。



雨が続く毎日、
晴れていれば満月に近い夜。


映画「天井桟敷の人々」の中に、

僕の好きなセリフがある。

(そもそもこの映画には、結局同じ人だが 脚本とは別にセリフ担当がクレジットされている)


「振り返るとあぶないぞ  過去は狂犬のように噛みつく」


けれど現実の僕の状況は 

この数ヶ月、

この好きなセリフとはちょっと違ってて、

これから先、別の新たな何かに進むために、

とても喜ばしい 過去の物や 懐かしい人が

なぜか 現れてくれている。

  まるで僕を癒し、励ましてくれるかのように。

  僕に対する大いなる肯定とともに。


だから、単に過去を懐かしがって後ろを振り返っている、というのとはちょっと違う。


過去は狂犬のように噛みつく・・・。

そうだな、「過去」が噛みついてくるなら、

噛みついてもらおうじゃないか。

望むところだ。

あぶなくなんかないよ。

僕自身は振り返らずに、前を向いたまま、

「過去」が、
おっちゃんの色紙や懐かしい人たちが、

僕を追い越していくだけなんだから。

関連記事:




# by y_natsume1 | 2022-07-14 07:34 | 大阪

大阪について(4) ~母の同級生M氏~

*******

ここのブログ名 「夏目芳雄」は、僕の母方の祖母の旧姓夏目と、その配偶者、祖父のファーストネーム芳雄を組み合わせたものだ。

祖母は大阪市の西区桜島(現在の此花区桜島)で生まれ育った。

祖父は四国の香川県の山間の村で生まれ育ち、その後大阪に出て昭和初期に旧逓信省電報電話局で英文電報の文面について文法の誤りをただす仕事をしていた。

祖母の母方が祖父の親類だったことで二人は一緒になった(らしい)。

大阪の九条で所帯を持った。

昭和10年(1935年)に僕の母が生まれ、母も九条で育った。

戦争で昭和20年(1945年)に一家で香川県の祖父の実家に疎開するまで、彼らはずっと九条で過ごした。

僕は香川県で昭和40年(1965年)に生まれ、そこで育った。


*********


1997年62歳で亡くなった母の、形見の腕時計。

シルバーのIWCの自動巻き。


IWCなんてブランドもの、

新品だと100万円以上はするんじゃなかろうか。



大阪について(4) ~母の同級生M氏~_b0058966_10411304.jpg



母は生前、毎日ずっとこれをしていた。


美容師としてお客様の手前もあるのか、

母は派手なものや高価なブランド物をあまり好まない。


IWCは、そんな母がするにしては珍しい、ブランドものだ。


品がよく、シンプルなデザインだから、だけが理由ではないはず。


第一、そんな高価なものを母が自分で買うわけがない。


やっぱり、下に書いたように、

たぶんM氏からのプレゼントだったから、なのかも。


とにかく、僕は母が毎日のようにIWCを身に着けていたのを

とても印象深く覚えている。


だから僕は自ら強く望んで、これを形見としてもらい受けた。


それ以来ずっと、日常的に僕は、

今も週に1、2回はこれを着けている。




******


僕が育った家の2階の、祖父の部屋の隣の小部屋には、


立派な額に入った油絵が1枚かかっていて、


僕は小さい頃からなぜかこの絵を気に入っていて、

よく2階に上がって眺めていた。


何度も何度も、ずっと。


とても暗い色調で、

黒に近い紫を背景のベース色にした花の静物画。


右下の隅にはMという人の名前がアルファベットでサインされている。


僕が小学生の頃、母に聞いたことがある。


この絵はどうしてここに?

Mさんて、だれ?


母が僕以上に絵画に詳しく、美術が好きなことは知っていた。


で、この絵は何? と。


母は言った。


高校の時、美術部の部長やったMさんのこの絵が、好きでな、

卒業制作やったかもしれん、

私がどうしても譲ってくれって、ものすご無理言うて、

卒業の時頂いたんや。


********


1977年8月。


僕が中学1年の夏休み、母に大阪に遊びに連れて行ってもらった。


西宮球場で阪急ブレーブスのプロ野球の試合を観戦し、

夜はホテルに宿泊。


母はホテルの部屋で休んでいた僕に、

M氏という、香川県の高校時代の同級生を紹介した。

(僕も3年後にはその高校に進む、地元の普通科進学校だ)


「あー、油絵の人だ」と僕は思った。


M氏は高校時代は美術部の部長さんで、

卒業後は大阪に出て事業をやってはるらしい。


・・・母は、Mさんと一緒にこれからロビーでお茶でも飲みに行かへんか、と僕に言う。


僕は、「いや、テレビで観たい映画があるから、2人で行ってき」


「何の映画やの?」


「グレゴリー・ペックの”宇宙からの脱出”。 楽しみやったんや」


「そうかぁ、そしたら私ら2人で行ってくるわな」


僕は2人の邪魔をしないようにと変に気遣ったわけではない。


その時、まだ中学1年生の男の子だった僕でさえも、

もしこの2人にいわゆる男女の官能的な関係があれば、

さすがに僕にだって感じられただろう。


それはなかった。


だけどその時の2人は何ともさわやかな雰囲気で、

良い感じで楽しそうではあった。


(2人が再婚を意識するのはたぶん数年後にM氏が離婚してからだろう)


1時間ほどして、母が一人で戻ってきた。


「Mさんがな、あんたのこと、”ええ子やないかぁ” 言うてたで。なんべんも」


「ふーん」


(そんなにたくさん話したわけでもないのに よう分かるもんやな、とは思ったけど)



その時はそれで終わった。


母はそれ以降、時々、思いついたように僕にひとことずつ


それも何年かに一度、短くつぶやく。


「Mさんな、奥さんと子供さんと別居してんねんて」


とか、


「Mさんな、離婚してしもたわ。私と一緒になるためや言うて。(怒ったかのように、悔しいかのように)ホンマにもう・・・」


とか、


「Mさんな、亡くなったで。まだ60にもなってないのに」


とか。



それからまた何年かして、母と2人だけのとき、


母は(けっこうイケててモテただろうに)

父と離婚した後、

なぜ誰か他の人と再婚しなかったのか、というような話になった。


再婚したらええのに、みたいな感じで。


だって父と離婚したのは僕が3歳の頃で、もう何年も独身なのだから。


僕はMさんのことはその時なぜかすっかり頭から抜け落ちてた。


「あんた、覚えてないかなぁ? いつやったかなぁ、


だれと、とは言わんかったけど、


お母ちゃんが再婚してええか聞いたら、僕は絶対いやや言うたやん。


そやからその時にきっぱり決めた、再婚はせん、て」


全然覚えていない。


僕はそれを聞いて、このような会話の、自分の罪深さに自分が嫌になった。


昔もこの時も、母に対して、何と残酷な言葉をかけたことか。


僕は 大バカ者だ。


そして、母は、


「時計をな、男の人からもろたら、いっつもその人と別れが来るんや、私は」


とも言う。


彼女はその時、決して男性の名前を出さなかったけれど、


僕にはわかった。Mさんだ。Mさんしかいない。


そしてIWCの腕時計も、Mさんからの贈り物だったのだろうと。


確証はないけど、たぶんそうだ。


自分の人生に「もしも」があるのかどうかは別にして、


仮に母がMさんと再婚していたら、

僕は大阪に引っ越して、大阪で育ったかもしれない。


大阪にいたら、


四国の田舎にいた時に僕がずっと感じていたように、


  何としてもこんなクソ田舎から脱出してやる、


  とか、


  映画館も美術館もないこんなアホ田舎、絶対に出ていく、


なんてことも 思わなかったかもしれない。


それに、東京に行こうとさえ思わなかったかもしれない。




現実では東京に出て、それにも飽き足らず、海外に出て、


東京に戻り、


今は京都と大阪に憧れる毎日だ。


  ・・・ 東男が京女を、慕い、求めるかのように。



僕の高校の卒業生名簿には、母と同じ学年のところの物故者に

Mさんの名前がある。


あぁ、この人だったんだなぁと後年になって思ったものだ。



僕の父も、同じ高校で母たちと同学年で、父の名前も卒業名簿にある。


だが、

野球選手として高校四国選抜になり、社会人野球で全国制覇までするほど地元では有名だった父と結婚する前に、


すでに母とM氏との ほのぼのとした人生の伏線は、

多少なりともあったのかもね。


それはそれでほほえましい。


ハチャメチャな父よりも、絵を描くM氏の方が、僕としては印象がとても良かったし。


********


僕は高校3年生の時、母やM氏と同じ高校で、

たった1年だけ急に思い立って美術部に入り、

美術教室で申し訳程度の不出来な静物画の油絵を描いた。


大学受験の勉強を全くせずに(だから浪人したんだけどね)。


なぜそんなことを、

何かにとりつかれたように してしまったのか、


今でも自分にさえはっきりとした理由はわからない。


小学生の頃にひたすら描いていた絵を、

再び猛烈に描きたくなったとしか言いようがない。


これは僕の、2階の小部屋にかかる油絵への返答と自己満足、

と言えなくもないか、今思うと。


僕が高校3年当時の美術部の顧問は

ムサビ(武蔵野美大)出身の男先生で、


部員数は少なかったけれど、男女問わずどの部員も皆、ナイーブで、優しくて、思いやりがあった。


だから、短い期間だったけど僕にはとても居心地がよかった。


部長は幼馴染の、魚屋のせがれ、優しいイケメンのTちゃんだった。


Tちゃんは一浪して東京芸大油絵科に進む。


僕の親類や身近にはほとほとあきれ返るほど、

優秀な人が多いなぁと思う。(笑)


Tちゃんのお母さんは女優の由美かおるさんにそっくりで、
こんな瀬戸内の田舎に、まさに掃き溜めに鶴。
幼い僕はTちゃんのお母さんがとても魅力的だと

秘かに思っていたものだ。


********


祖父母も父も母もM氏も、鬼籍に入った今、

当時を知るのは僕だけになったような気がして、

なぜか急に書いておかなきゃと思って書いた。


この文章は、僕の小学生、中学生の頃や、20代の頃のこと、

高校生の頃のことがあちこち飛ぶから、わかりにくいかも。



そいでもって、IWCの腕時計は一度も故障せず、今も元気に動いている。



大阪について(4) ~母の同級生M氏~_b0058966_11435244.jpg


大阪について(4) ~母の同級生M氏~_b0058966_11441830.jpg





# by y_natsume1 | 2022-07-04 11:56 | 大阪

大阪について(3) ~なんば球場~

*******

ここのブログ名 「夏目芳雄」は、僕の母方の祖母の旧姓夏目と、その配偶者、祖父のファーストネーム芳雄を組み合わせたものだ。

祖母は大阪市の西区桜島(現在の此花区桜島)で生まれ育った。

祖父は四国の香川県の山間の村で生まれ育ち、その後大阪に出て昭和初期に旧逓信省電報電話局で英文電報の文面について文法の誤りをただす仕事をしていた。

祖母の母方が祖父の親類だったことで二人は一緒になった(らしい)。

大阪の九条で所帯を持った。

昭和10年(1935年)に僕の母が生まれ、母も九条で育った。

戦争で昭和20年(1945年)に一家で香川県の祖父の実家に疎開するまで、彼らはずっと九条で過ごした。

僕は香川県で昭和40年(1965年)に生まれ、そこで育った。

*********




正式には「大阪球場」とか「大阪スタジアム」というらしいが、

僕の母にとっては地元の通称、「なんば球場」だった。


1975年7月か8月。僕が小学5年生の夏休み。


母の仕事に便乗して大阪に行き、母に連れられて生まれて初めてプロ野球のナイトゲームを見た。


南海ホークス 対 ロッテオリオンズ。


対戦カードは僕の希望だ。

当時、少年キングで古城武司の「おれとカネやん」という野球漫画が連載されていて、ロッテの試合が見たかったから。


球場の入り口で並んでいると、地元の少年たちに母は何事か話しかける。

僕にはわからない内容。


母は故郷に戻ってきた感じで嬉しそうで、生き生きしているのがわかる。

母は「なんば球場」と呼んでいた。


試合前に、僕はロッテの選手たちがアップしているのをスタンドの最前列まで行って近くでウキウキと眺めた。

有藤、弘田、カッコイイ。

金田監督もまだまだ当時は若く、はつらつとした声。


その夜、ロッテの先発は村田兆治。


村田投手のファンだった僕は大興奮。

試合中に暴投もあって、コントロールはあまりよくない印象。

だけどやっぱりマサカリ投法はかっこよく、投げるボールのスピードもすごく速いと感じた。


試合中、僕は2つのことに気づく。


なんば球場は一塁側の一方だけ途切れた部分があるというか、変形した左右非対称の形だということ。


ヤジが面白いこと。


特に2つ目。


ここは吉本新喜劇かと思うほど、センスのいい、笑い満載のヤジがとめどなく飛び交う。


普通の球場ではない、なんだか違う空間だとその時思った。


後々、日経新聞の記事で今は取り壊されてなくなった大阪球場の思い出を語る内容の中に、面白いヤジが名物だったみたいな話を読むことになる。


なるほど、そうか、

小学生の僕が感じたあのヤジの面白さは、ずれていなかった、まちがっていなかった、らしい。


1970年代の空気も、


母も、


なんば球場自体も、


今はなくなってしまったのだけど、


母の地元であった大阪の、懐かしい思い出だ。




大阪について(3) ~なんば球場~_b0058966_10571757.jpg


# by y_natsume1 | 2022-06-18 08:22 | 大阪