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映画の画質 画面の質感:「仁義なき戦い 広島死闘篇」(1973) &「ケイコ 目を澄ませて」(2022)


いやはや、今のデジタル画像はきれいすぎて、

テレビにも映画にも

どうもついていけない感覚がある。



もちろん、色彩や明暗がクリエイターたちの思う様に表現できていれば

それはそれで意義のあることなのだろうけど。


何を言いたいかというと、


例えば、

数年前のTVのBS放送で観た「ウルトラセブン」の4Kリストア処理されたデジタル画面は、


色彩は昔より鮮やかだし、

輪郭がきれいに出ているのだけど、

全体がつるんとしていて、

不必要に人工的な印象をぬぐえない。


まるで、ゆで卵の殻をむいた後みたいに、

つるりんとして

やり過ぎた感じ。



キレイすぎるということだ。


だから興ざめしてつまらなく感じた。


いったい何のためにこんなことしたのか、

よくわからない。


退色した画像を元の色彩に戻す程度ならわかるけど。


キレイな画像なら何でもいいのか。

そうではないだろう。

何をどう表現したいのかという意図による。


個人的には、

’60年代の作品の画面はもっと粗くていいのに。

それこそが素晴らしいのに。



映画の画質という点では、

1970年代の、フィルム撮影が当たり前だった頃にも、

一つの挑戦 というか

芸術の技 

がみてとれる作品もある。


例えば、「仁義なき戦い 広島死闘篇」のラスト数分だけの、

そこだけ極端に粒子の粗い画面のシーン。


この数分間は秀逸だ。すごい。


北大路欣也の演じる主人公が、どういう状況でどうなっていったかを、

とても上手に表現している画質だからだ。


質感一つで、ストーリーや状況を表現できている。





そして最近観た映画の中では、

これが今のところの

映画の画質に関する

グッドな答えの一つなんじゃないかという作品にも出合った。


「ケイコ 目を澄ませて」(2022)  岸井ゆきの主演。


素晴らしい映画だと思う。


今時 珍しく、16ミリフィルムでの撮影。

そのフィルム撮影自体が挑戦的で尊敬に値する。


だって、デジタルとフィルムでは

光と影の扱い方が全然違うからだ。



デジタルは明暗のあんばいを、

それほど気にせず撮れるらしい。

人間の網膜にはわかりにくい暗い場所でも

それなりに明るく撮影できる、とか。



しかしフィルムだと、

暗い所は 分かりにくいほどホントに暗いし、

照明さんは大変だし、

現像されるまで撮影内容は確認できない。



昔はフィルム映画はみんなそうだったんだけど、

今となっては

フィルム撮影そのものが挑戦的なのだ。


予算の制約があるからフィルムの使用には限界があって、

デジタルみたいに何度も撮り直すわけにいかないから、

撮影現場には緊張感も生まれるだろう。



この作品を観終わって思うに、

やはりデジタル画像よりもフィルムの画質や陰影は

この映画の舞台やストーリーにふさわしい。


フィルムならではの、荒川の土手や千住の街を味わいのある画質で撮れている。



何より、

これは耳の聞こえない女性プロボクサーの物語だ。


もちろんこの映画にもセリフはあるのだけど、

耳の聞こえない主人公の設定ゆえ、

全体的にセリフは少なくて好感。


最近のテレビドラマにありがちな、

セリフだけで背景や筋書きなどすべてを説明しようとする、冗長で安易で愚かな感じがなく、

ストイックで引き締まった画面の作品になっている。


映画は説明的なセリフではなく、

映像そのもので語れるのだという、基本がここにはある。


言わば、

サイレント映画のスタイルにも通じるところがある。


この作品は、

監督、脚本だけでなく、撮影、照明、録音にいたるまで、

チームスタッフ皆が素晴らしい仕事をしていると思う。




もう一つ、フィルム撮影以外にこの作品の良いところは、

岸井ゆきの 

のボクシングシーンや手話を含めた演技だ。


たぶん、彼女の代表作になると思う。

ならないといけない。


特に、トレーナーとのミット打ち練習の連打シーンはぜひ観て欲しい。

すごい。

ワンカットで 

どう見てもこれホントにやってるんだよね、と感動すると思う。



この映画は、耳の聞こえない主人公を描いているから、

サイレント映画のような、まるでボクサーの肉体のように無駄をそぎ落とした作品自体の力強さもあるのだけど、


じゃあ、視覚はどうなんだよ、みんな、ちゃんと見ているのかよ、

と、それこそボクサー映画らしく、

画面の光や明暗でもって

映画の観客に挑戦状を叩きつけて来ているようにさえ思うシーンもいくつかある。

映画のタイトルにもそれがうかがえる。



そして映画の最後は、

観客に対して

視覚だけではなく聴覚にも挑戦してくる。


ラストシーンのあと、画面は真っ暗になるが、

数秒の間、ある「音」が聞こえる。


ぜひ、席を立たないで、その音を、

その音が何を表現しようとしているかを、

感じ取ってほしい。


主人公の、これからの道を暗示するような、音だ。



とても良質で気合の入った作品に出合えて良かった。

映画の画質は、きれいすぎなくていい。


キレイなら何でもいいわけじゃなくて、

どういう意図でそのような画質や表現を採ったのか、だ。


「仁義なき戦い 広島死闘篇」(1973) と

「ケイコ 目を澄ませて」(2022)  

の2作品は、


改めて、映画の画質について 考えさせてくれる。



# by y_natsume1 | 2023-09-15 15:47 | 映画言いたい放題

肝心な時に運の悪い俳優 渡哲也


誤解しないでほしいのだが、渡哲也という俳優は嫌いではない。

むしろ好きだ。


けれど、どうしてこうも、彼は肝心な時に運が悪いのだろうとは思う。


巡り合わせがよくないと言えばそうなのかもしれないし、

世に出て大スターの名声を得ている俳優だから、

全体の運が悪いわけはないのだろうが、

もっと素晴らしい経歴を積み重ねられたはずなのにと思う。


惜しい、残念だ、ということだ。



吉永小百合との結婚が実現せず、

病気でことごとく映画出演の機会を逸した。



日活から東映に移ろうかという頃、

高倉健に次ぐスターとして期待されたのにもかかわらず、



「仁義なき戦い」の主人公 広能役を最初にオファーされたのに体調不良で菅原文太にその役を譲らざるを得なかったこと、



「脱獄広島殺人囚」、高倉健と共演する予定の「大脱獄」、菅原文太と共演するはずの「県警対組織暴力」、などでの出演が病気でかなわなかったこと、


(それぞれ、松方弘樹、菅原文太、「県警対組織暴力」はたぶん松方弘樹が代役、だったと思う。どれも観た。)



「八甲田山」の神田大尉役もあの体調では寒冷地撮影は無理だろうということで代役は北大路欣也になったこと、



大河ドラマ「勝海舟」ではせっかくの主役なのに、

病気のために途中降板したこと(あとは松方弘樹が引き継いだ)。



大河ドラマ「勝海舟」をリアルタイムでテレビで観ていた小学生の僕は、

なぜ急に主人公の俳優が変わったのか、

母に聞いてみたことがある。


病気のことなど知らない小学生には訳が分からなかったからだ。


母は、理由は病気したみたいだよと言いつつ、


「あれはねえ、あれでよかったと思うよ。松方に変わってよかったんだと思う。

渡哲也じゃあ、大河ドラマとか時代劇の主役は難しいから」


とも言った。


要するに大河ドラマでの存在感の薄さと、時代劇の演技はできないだろう、ということだ。

冷静で まっとうな意見だと、当時小学生だった僕も納得できた。

同感だった。




こういう、体調不良や病気のせいで出演がかなわなかったエピソードは、

渡哲也には枚挙にいとまがない。



この、肝心な時の運の悪さ、間の悪さ はどうしたことだろう。



この俳優にとって、体調管理や健康問題とは いったい何だったのだろうかと思う。


膠原病だったとも言われており、本人が一番無念だったろうことは想像に難くない。



極めつけは、


これは運の良し悪しというにはどうかわからないが、これがさだめだったのかもしれないこと、つまり、

言っては悪いが石原裕次郎に心酔したことだろう。


ここも誤解を恐れずに言えば、なのだが。


石原裕次郎は、デビューから1950年代末までのいくつかの主演映画はとても良い出来で気に入っている。

赤い波止場、錆びたナイフ、狂った果実、夜の牙、

鷲と鷹、勝利者、紅の翼、など。



しかし、次第に肥満し、中年になってからは、どこがいいのかさっぱりわからない。


僕は決して石原裕次郎を嫌いではない。

しかし、演技力のなさ、実はそれほどイケメンでもないマスク、1960年代以降の肥満した外見、などからして、

とても評価できる俳優ではない(オーラを放つ存在感と人気を除けば)。



特に、石原プロを立ち上げて映画製作に進んでからは、

石原裕次郎の映画人生は 空回りだったと思う。



裕次郎のプロデュースした映画を観た限り、


「黒部の太陽」と「栄光への5,000キロ」 の2本を除き、


本人の情熱はさておき、


アーティスティックな映画のセンスや、何をどう撮りたいのかという点で、


映画についての才能はほぼ無かったと思う(彼の制作映画を全部観たうえで、どう考えてもそう思うのが自然だからだ)。



もちろん石原裕次郎は監督をやったわけではないのだけど、


映画を作りたいなら、


(たとえ制作者であったとしても、企画や監督、脚本のある程度の才覚も必要だろう、あるいはお金だけでなく才覚のある監督や脚本家を揃えられることこそがプロデューサーだろう という意味で)


伊丹十三や北野武ぐらい高度なセンスや才能がないと、興行的には苦しいのではないか。



そういう石原裕次郎についていった渡哲也の、

俳優としての

どうしようもない判断ミス。

(体育会系的仁義、裕次郎の人柄の良さ、はあるにしても、だ。)



だって、その後の石原プロとしての渡哲也の出演作は、


石原プロの火の車だった経済的事情を優先したためか、


主にテレビでの犯罪、刑事ドラマやアクションばかりが中心で、


映画出演はほぼなくなり、


アクション刑事もの以外の作風やジャンルはとても限られたから。



そういうのは晩年になってようやく増え出すが。

いかにも 幅が狭い。


渡哲也本人は 石原裕次郎に心酔しているのだから 


それで本望だったかもしれないが、


映画ファンにとっては渡哲也の映画出演が極端に少なくなり、


それは残念で惜しいことだったはずだ。



かといって、繰り返すが僕は渡哲也という俳優自体は嫌いというわけではない。


「大都会」や「西部警察」などのテレビドラマでの活躍を見ると、

やっぱりカッコいいなとは思うし。


そして、映画「ゴキブリ刑事」(1973)、「ザ・ゴキブリ」(1973)。

のちのテレビドラマ、「大都会」や「西部警察」の原型になったと思われる作品。


それは評価してしかるべき。


観ていて気づいたのだが、

「ザ・ゴキブリ」のラストシーンは、

ジャンギャバン主演の「冬の猿」のラストシーンに、

構図やカメラアングルからシチュエーションまで、

よく似ているなぁと思った。皆様も観てみて下さい。



僕が好きな、渡哲也主演の映画はいくつあるが、

例えば、日活なら鈴木清順監督の
「東京流れ者」 とか、

監督は違うが

無頼シリーズ なんかは良い。



そして それらよりも、

東映 深作監督の

「仁義の墓場」 は最高傑作だと思う。


鬼気迫る演技。

渡哲也の代表作だ。


♪ テーマ曲「ひとり」by 渡哲也 ♪


# by y_natsume1 | 2023-08-26 21:17 | 映画言いたい放題

日比谷パークビルを知っているか


当時、こんなに素敵なレトロビルは 他にないと思っていた。

大好きだった。


1952年竣工、2007年解体(だそうだ)。

現在は跡地にザ・ペニンシュラ東京が建っている。



某外資系企業の新人だった1990年ごろ。

クライアントが入居している日比谷パークビルに何度か訪れた。

エレベーターや、その周りの構造、床やデザインなどが、

どれもこれも当時でさえレトロに見えてステキで、好印象だった。


このビルがなくなるなんて、当時は思いもしなかった。



近代的なビルだけでなく、神社仏閣含めて、

僕の建築物好きは昔からなのだが、

当時はそういうことをそれほど意識することもなかったけど、

今思えば、本当に僕は建築物が好きだったのだと思う。

とにかく、日比谷パークビルは東京でのぴかいちだと思った。




このビルが 一時期、日活国際ホテルとしても活躍し、

いくつかの日活映画のロケ地にもなったことは、ずっと後で知った。

あの赤木圭一郎の映画でも。


このビル、ホントにステキだった。

特に、建物の角の、カーブの具合なんか最高。



実際に行ったことはないけれど、


もし1920年代のニューヨークのマンハッタンに行ったら、

こういうビルがあったかも、と思わせてくれるような感じ。



若き日の好みは今も変わらず、

レトロなビルは大好きだ。



♪ テーマ曲 「Moose The Moche」by Charlie Parker ♪


関連記事:



# by y_natsume1 | 2023-08-26 20:04 | 日々の雑文

人生には知らない方がいいこともある  かもしれない 〜前鳥神社にて〜


2023年8月某日。


映画「菊次郎の夏」の夏祭りシーンのロケに使われた

神奈川県平塚にある

前鳥神社(さきとりじんじゃ)を訪ねた。


平塚駅からバス。



どうせ訪れるなら、

映画のように夏の時期がいいかなと思って来てみたけれど、


やはり 暑い。 汗だくだ。




人生には知らない方がいいこともある  かもしれない 〜前鳥神社にて〜_b0058966_17093009.jpeg


人生には知らない方がいいこともある  かもしれない 〜前鳥神社にて〜_b0058966_17095106.jpeg

人生には知らない方がいいこともある  かもしれない 〜前鳥神社にて〜_b0058966_17101509.jpeg

人生には知らない方がいいこともある  かもしれない 〜前鳥神社にて〜_b0058966_17103262.jpeg




下の写真は 前鳥神社の境内にある「神楽殿」という建物。

ヤクザにぼこぼこにされた菊次郎が腰かけていたベンチがある。

人生には知らない方がいいこともある  かもしれない 〜前鳥神社にて〜_b0058966_17104670.jpeg

人生には知らない方がいいこともある  かもしれない 〜前鳥神社にて〜_b0058966_17111997.jpeg



次の写真は、前鳥神社の近くにある大念寺。

人生には知らない方がいいこともある  かもしれない 〜前鳥神社にて〜_b0058966_17114635.jpeg

人生には知らない方がいいこともある  かもしれない 〜前鳥神社にて〜_b0058966_17120008.jpeg

人生には知らない方がいいこともある  かもしれない 〜前鳥神社にて〜_b0058966_17122077.jpeg


そして、平塚駅の北側にある

平塚八幡宮。

由緒あるお宮。


人生には知らない方がいいこともある  かもしれない 〜前鳥神社にて〜_b0058966_17123619.jpeg

人生には知らない方がいいこともある  かもしれない 〜前鳥神社にて〜_b0058966_17124825.jpeg

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なかなか 良き気 に満ちた 空間。



ここからは映画のネタバレを含みます。
# by y_natsume1 | 2023-08-12 17:07 | 関東甲信越

少年の頃の 栗林駅の思い出



JR四国 高徳(こうとく)線の栗林(りつりん)駅。


昔は高松駅から徳島方面に向かって1つ目の停車駅だった。

今はその間に2つの駅ができている。



栗林駅よりもっと東に位置する

僕の実家の庭のすぐ裏に、高徳線の線路が通っていて、


1960年代後半の幼稚園児の僕は、


毎日のように蒸気機関車SLを観ていた。



その蒸気機関車に何度も乗った。


当時は列車内の座席は木の椅子で 

それはそれで とても趣きがあり、


数少ないトンネルでは 煙が入らないよう、


乗客皆して窓を閉めていた。


よく覚えている。



高徳線に乗っていた幼い頃のエピソードがいくつかある。

栗林駅に限らず、高徳線全体での思い出、かな。


1つ目。


車内販売があって

喉が渇いていた僕と母は

お茶だけを買おうとしたら、

お弁当を買うお客さん用に取っておくから、お茶だけでは売れない、と言われたこと。

ヘンなの。


なんやねん、それ。

商売する気ぃがあるんか、国鉄! と少年だった僕でさえ思った。



2つ目。


別の時、高徳線の車内で。 


スーツに眼鏡の、とてもイケメンの初老の紳士が、

必要もないのに、 車内販売でいろんなものを買っている。


赤い網目のネットに入ったミカンやら、お菓子やら、雑誌やら。


初老の紳士が欲しかったのはおそらくタバコか何かだけで、

でも大きなお札しかなく、

売り子さんは釣り銭が十分にない。


釣り銭を少なくするために、不要なものまで買っていたみたい。


そいでもって、買ったミカンやお菓子やらを、

僕と母にプレゼントしてくれた。



何と牧歌的で、のんびりした雰囲気なんだろうとは思う。


売り子さん、釣り銭ぐらい、もっと用意しとけばいいのに。


お客さんに余計な物買わすなんて、

おかしい。

ヘンなの。



3つ目。


1970年代のある日だったと思うが、

訪れていた高松から 家に帰るので

栗林駅から母と高徳線に乗った。


栗林駅では、駅舎を描いた油絵が飾ってあって、


絵画が大好きだとはまだ自覚できていない頃の僕だったけど、

母に尋ねた。


あの絵、なんであるんやろ、なんで飾られとるん? と。


不思議だったからだ。


こんな田舎の駅に、

あんなステキな油絵なんて。



母は言った。

「栗林駅が高架になるけんな、

昔の駅舎の姿を残そと思て、

誰かが描いたんやないかな。たぶん。

ほんで、その絵を駅に飾ってるんやろな」



僕は年齢を重ねてきて、物覚えが悪くなっているとは思うのだけど、

この時の母との会話は今でも強烈に覚えている。



もう何十年も栗林駅に降り立っていないから、

定かではないけれど、


たぶん、今でも 昔の駅舎のあの油絵は、

栗林駅のどこかに飾られてるんじゃないだろうか。



4つ目。


僕の実父は、プロではなかったけれど野球選手だった。

うちの高校の野球部の監督もつとめた。

彼は高校卒業後、いったん地元の企業の社会人野球に入る。

その頃の 父のお話。


ちなみに、父は地元企業の社会人野球部を1年で辞め、

東京の某私立大学に進み、また野球部に入る。

そこも仕送りが途絶えて学費が払えず、ほぼ1年で退学し、

2つ目の社会人野球に進み、そこで全国制覇をした。

その時はキャプテンをつとめた。



大学の野球部時代に出会った同期が 古葉さん。

四国一の遊撃手でスカウトされて来たのが父で、

九州一のショートで呼ばれたのが古葉という人だそうだ。

元広島カープ監督の古葉竹識さんだ。


僕の手元には、継母からもらった

父と古葉さんが2人で映っている写真がある。


父はウィスキーのグラスを手にしている。

写真の日付からは 1980年代。

2人が50歳ぐらいの頃の写真。


僕の両親は同じ町出身、同じ高校の同窓で、僕が3歳の頃離婚したが、僕が40歳の頃37年ぶりに実父に再会した。

父はプロ野球の友人知人が多いことをよく話してくれた。例えば、近鉄バッファローズの神部投手とか、広島カープの古葉さんやそのご縁で衣笠さんとか。

プロ野球経験者ではないけど、たまたまゴルフ場で原貢氏(巨人の原辰徳監督の父)に出会い、意気投合してふたりで飲んだこともあったらしい。



話が脱線した。


栗林駅と 父が最初に所属した高松の社会人野球チームのことに話を戻そう。

たぶん、1955年前後の頃。


このチームは、「いちこう」(高松第一高等学校)のグラウンドを借りて練習していたそうだ。

夕方、練習を終えた父は、栗林駅から高徳線に乗って、帰宅する。


父は「いちこう」の野球部員の一人、アキという高校生に、

自転車の後ろに乗っけてもらって

いつも栗林駅まで送ってもらっていた。


いや、強制的に送らせていた。



父はその人を パシリ 扱い していた(父の生前の弁による)。



おい、アキ、アキよぉ、栗林駅まで送れや、とかなんとか言って。


「今はそんな失礼なこと とても言えん。もう雲の上の世界の人になったからな」と父。



アキ、こと 近藤昭仁さん。


のちに巨人のヘッドコーチや、横浜ベイスターズの監督をつとめた、


あの 近藤昭仁さん  である。


えー!? ほんまかいな。


本当だとさ。


なんだかなぁ。


********


これらの話に登場する人たちは

継母や神部投手を除いて、

ほぼ皆、

鬼籍に入った。


時間が経った、ということか。


高徳線や栗林駅のエピソード、でした。



♪ テーマ曲 「大いなる旅路」by 小椋佳 ♪

♪ テーマ曲 「この汽車は」by 小椋佳 ♪


少年の頃の 栗林駅の思い出_b0058966_19065251.jpeg

# by y_natsume1 | 2023-08-05 19:14 | 四国




夏目芳雄の東南アジア・映画・ジャズ・酒などに関するよもやま話です。
by y_natsume1
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