カテゴリ
Entrance ようこそ
Biography 略歴
夏目芳雄の著作物
Moon
アジア的独白
鎌倉湘南Seaside
酒×酒
Back Street Days
四国
Music Bang Bang
Jazz Night
ビートニク
マレーシア駐在記
シンガポール
ベトナム
南の島
韓国
中国
キューバ
メキシコ
アメリカ
Books
日々の雑文
子供語録
ごはん
映画言いたい放題
過去の映画評「あ」
過去の映画評「か」
過去の映画評「さ」
過去の映画評「た」
過去の映画評「な」
過去の映画評「は」
過去の映画評「ま」
過去の映画評「や」
過去の映画評「ら」
過去の映画評「わ」
その他
以前の記事
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2012年 12月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 11月
2005年 10月
2005年 09月
2005年 08月
2005年 07月
2005年 06月
2005年 05月
2005年 04月
2005年 03月
2005年 02月
2005年 01月
2004年 12月
2004年 11月


<   2004年 11月 ( 238 )   > この月の画像一覧

オススメBlog

○○のほう、こちらになります。

皆さん、

すっごく面白いBlog発見(笑)。
そのBlogの管理人さんの了解もとってありますので、ここでご紹介いたします。

抱腹絶倒、大笑いのネタがいくつかあります。
ぜひ、覗いてみて下さい。

↓ これです。

http://makemake.exblog.jp/
[PR]
by y_natsume1 | 2004-11-30 20:21 | その他

30年分の炎


ある夜、近所のワインバーで飲んでいた時のお話、その2。

以前このBlogでご紹介したエピソード(「酒×酒」カテゴリの「Gosset」)で、シャンパンをご馳走してくれた二枚目中年紳士がいたでしょ?

イニシャルNOさんとしておきます。

以下はそのNOさんのモノローグ的お話。ご紹介します。

**********

 「森林インストラクターって仕事、知ってるかい?

 林野庁の国家資格でね。
 人間てさ、
 これからは皆で自然をもっと大事にして、
 木々の有用性や効用を学んでいったら、
 お金もかからなくて、
 もっともっと”ステキな思い”ができるようになる、
 っていう気がするわけ。

 でさ、僕の森林仲間にゴツイ男で”I”さんっていうのがいてね。
 森林インストラクターの東京会の会長やってる。
   (誰のことだか、もうバレバレですね・・・)

 ”I”さんがよく言う言葉があるんだ、焚き火してる時に」

         *

 ”―― 焚き火で薪を燃やすよね。

 その薪の直径が例えば30年ぐらいの時間をかけてできた太さだとする。

 そうすると、今、目の前で見てる、いろいろに動く火は、

 その30年っていう時間を燃やしてるんだと思う。

 30年もかかって育った木が、一瞬にして燃えるから、

 ステキなんだよな。

 30年っていう時間を、一瞬の炎として味わってる・・・。”

         *

 ―― NOさんはひとしきり”I”さんの話をしてくれた後、グラスの赤ワインを口に含んだ。

 「うまいねぇ・・・。このワインだって熟成に時間をかけてる。
  ある意味、時間を味わってるんじゃないかな・・・」

**********


ゆらゆらと燃えている火の元となった木。

その木が育つのにかかった30年という時間を味わうのは、とてもぜいたくなことだ。

本当に自然と時間を大切にしていないと、その「ぜいたくさ」も感じ取れないかもしれない。

森林や環境に携わっている人たちの話には、こういう「大きな時間の流れ」とでもいうような内容のことが、よく口をついて出てくるそうだ。

僕も、こういうことを敏感に感じとれるオヤジになっていきたいもんだ。

何だかくやしいけど、憧れる。


―― ちなみに、ビート系作家、ジャック・ケルアックの小説 「荒涼天使たち」 には、米国西海岸、カナダ国境近くの森林で、森林監視員のアルバイトをするケルアック自身が描かれています。

  森林の緑、30年分の炎――。

    「ステキな時間」だよねぇ。
[PR]
by y_natsume1 | 2004-11-30 20:07 | 酒×酒

シルミド


およそ「国家」というものを信用してはならない、という繰り返されたような台詞が頭をよぎる。

この韓国映画、骨太で正面から取り組んだ真摯な作品だと感じた。

この作品は饒舌には語れない。

だけど皆にも観て欲しくなった。

「シルミド」とは「シルミという島(ド)」のことだそうだ。
映画の中では特殊部隊の訓練場に使用されている。
[PR]
by y_natsume1 | 2004-11-29 19:55 | 過去の映画評「さ」

カルロス・ゴーン氏の「コミットメント」


英単語でdeserveなんかもそうですけど、commitment コミットメント(名詞)とか commit コミット(動詞)って、どことなく日本語に直訳しづらいと思いませんか。

罪を犯す、委託する、など以外に、典型的な意味合いとしては、やると決めたことを必ず実行するぞという強い気持ち、という感じでしょうか。

日産自動車のゴーン社長がよく言う「コミットメント」は「必達目標」と訳されているらしいですね。

できなかったら「辞める」ことになるぐらい厳しい「公約」みたいなもの。

先日、僕の職場のボスが、日産自動車の関係者に話を聞く機会があったんだって。

(業務上、差し障りがあると困るので詳細は省きますが)その関係者さんが言うにはね、ゴーンさんは、社内でやるって決めたことがまだできてないと、何でやらないんだ、期限までにやれって、フォローアップし続けるし、迫りまくるんだってさ。

それこそが、たぶん、「コミットメント」ではないかなぁ、と思うわけです。

つまり、彼はやるって決めたら現実に必ずやる、やり遂げようとする強い意志を持ってる、ということ。

例えば、卑近な例で恐縮ですけど、仲間うちで飲んでる時にカッコつけたヤツが合コンやるぞって話を出しても、何日たっても全然相手の女性の人数や日時なんかの話が具体化しない口だけの人っているでしょ。そういうんじゃないってこと。


コミットメントって、言い換えれば「本気(マジ)だぜ」とか、「約束を守る」っていう、当たり前で単純な意識(マインドセット)の問題のような気もするなぁ。なかなか現実はできてないことも多いんだけど、当たり前のことをキチンと当たり前にやっていく、というね。

他にもいろいろありますよね、「当たり前」のことだけど、実際はどうだかアヤシイこと:

嘘をつくな、
知らない人について行くな、
悪いことをしたらごめんなさいと謝れ、
そして、
約束を守れ。

何だか幼稚園で習ったことばっかりですよね、こういうの。
ビジネス社会でもこういう事をちゃんと守ってたら、もう少し企業の不祥事は少なくなるような気もするのですが。


そういえば学生時代にある先輩が後輩に、

「やる気あんのかよ?」

って言ってるのを見かけたことがありましたけど、これも=「コミットしてるのか?」と置き換えても良い感じがします。

そしてもう一つ、「コミットしてるのかどうか」に一番ニュアンスが近いんじゃないかな、と最近個人的に思っている日本語は、もしかしたら、↓こういうのかもしれないな、と。

「覚悟はできてんの?」  

誰かと一緒にこれから危ない橋を渡らなければいけないようなときに、その相手に言うかもしれないセリフ……。もしできなかったら、辞職するぐらいの気概や覚悟があるかどうか。

「公約」、「約束を守れ」、「本気」、「やる気あんの?」、「覚悟はできてんの?」

どれもこれも、コミットメントに近い日本語のように思います。

そんじゃまた。
[PR]
by y_natsume1 | 2004-11-26 01:16 | Back Street Days

欲望

欲望

大傑作!ミケランジェロ・アントニオーニ監督。1966年UK映画。有名作なのになぜか今まで観たことなくて、最近某友人に勧められて観たら大正解だった。’60年代当時のロンドン・サブカルチャーや風俗をうまく描いた作品で、今観てもすごく新鮮。シュール。売れっ子カメラマンの主人公が偶然公園で(不倫と思われる)カップルを撮影するのだが、その写真を拡大してゆくとそこには死体が写っていた・・・・。原題はズームアップ。

映画の中で主人公がヤードバーズのライブに行くのですが、そのヤードバーズの演奏シーンにもぶったまげました。懐かしい&カッコイイ。ジミー・ペイジとジェフ・べックが出てるなんて今思うと最高ですよね(笑)。しかもサントラCDの解説によると、演奏シーンの撮影に使用されたライブハウスは、かの有名なロンドン・ピカデリーの「マーキー」だそうですっ!!実は僕も1981年、16歳の時に、「ガール」という知る人ぞ知るへヴィメタバンドを聴きに「マーキー」に行ったことがあります。その際のエピソードは僕のオススメ映画シリーズ第6弾の「さらば青春の光」の部分を参照。アントニオーニ監督は、当初はモッズたちの教祖的なバンド、ザ・フーの起用を考えていたんだけど、諸事情でヤードバーズになったみたいですね。冒頭のハービー・ハンコックのジャズもすごくいいです。サントラCD、オススメですよ。

この映画で特に良かったのが、ネタバレになるから詳しくは書けませんが、シュールで幻想的なラストシーン。これは秀逸。いいセンスですよねえ、こういうの。モッズたちはこの頃からいたんですね。俳優でいうと、バネッサ・レッドグレーブが若くてすっごく美人なのでびっくりしました。オバサンになってからしか知らないので。あと、モデル役のジェーン・バーキンも魅力的だったなあ。当時はたぶんデビューしたての新人だったろうけど。バーキンは後にシャルロット・ゲンズブールなどの女優を産むのですけどね。この映画に雰囲気が少し似てるというか、サブカルをうまく描いてるUK映画だと、「If もしも」、「さらば青春の光」、などが思い浮かびますが、どうでしょうかね。
[PR]
by y_natsume1 | 2004-11-19 20:43 | 過去の映画評「や」

蛍 ~マレーシアの隠れ家的ホタルの名所~


クアラセランゴールは首都クアラルンプールから北西へ車で約一時間半ほどのところにあるマレー半島西岸の田舎町である。その近くのセランゴール川では、夜になると無数の蛍を見ることができる。まるで淡い自然光でライトアップしたクリスマス・ツリーが川沿いに何百本もある感じだ。 僕達もクアラルンプール駐在中に何度か見に行った。日本の人たちには何年も前にフジテレビ系の「なるほど!ザ・ワールド」で紹介されたのが最初のようだ(取材は1994年5月ごろ)。

本当はそっとしておくべき自然なのだろうけど、マレーシアでは既に有名になり過ぎ、各種ツアーまで組まれている。将来はダム建設予定もあるそうだし、そのうち蛍の数そのものが少なくなるのではないかと危惧している。今は、どんなふうになっているだろうか。

もうすぐ、クリスマス・・・・ですね。
[PR]
by y_natsume1 | 2004-11-19 14:29 | マレーシア駐在記

緊急事態


(注1)マレーシア駐在時の文章:

何年か前に、東京の日本人上司が僕にこう言ったことがある。「緊急、緊急といったって、世の中に人の生き死に以外に、本当に緊急なんてありはしないよ(末尾の注2)。仕事でどんなに急いでいても、所詮は人間のやっていることなんだから何とかなるもんだ。だけど、まあ、俺の仕事だけは、はやくやってくれよな。」



 マレーシア駐在中に「緊急事態」が僕に起こったことがある。

1997年10月6日の深夜、マラッカへの出張から戻った僕は、東京にいるはずの叔母(僕の母の妹)から電話を受けた。

四国の実家にいる母がくも膜下出血で倒れ、手術をするという。万が一のこともあるので、お前もすぐに帰国をしてはどうか、というのである。

四国へ戻るのはやはり関空経由の方がよいし、入院先は脳外科のある徳島県の鳴門病院だったから、関空からは高速船が徳島港まで出ているはずだ。徳島港からはタクシーを飛ばせばよい。そこで翌日、関空への直行便がある全日空のチケットを手配し、仕事上の連絡などを済ませて、早々に深夜便で帰国した。

10月8日の朝に到着し、病院に直行したが既に手術の真っ最中だった。予定を2時間オーバーして都合7時間の大手術は夕方、無事成功した。

その後、担当医師の丁寧かつ明快な経過報告を受けた。手術中に撮影されたビデオを見せながらの説明で、素人にも分かりやすいインフォームド・コンセントである。日本の地方の医師の中にも、脳外科のような難しい分野で、説明責任をちゃんと果たそうという、こんなプロフェッショナルがいるのか、と感心した。

手術の翌日(10月9日)には母はお粥の食事を取れるようになり、10月10日には集中治療室から一般病棟に移った。そこで医師に相談してみたら、峠は越えたようなので、クアラルンプールに戻ることにした――。

―― 1997年10月15日の深夜のことは、今でもコマ送りのようにはっきりと覚えている。

その日の夜は、ある商社マンと日系メーカーS社の人とで、クアラルンプール市内の中華料理の屋台でかなり遅めの食事をとっていた。S社の新規プロジェクトの仕事では、我々の会社を使ってくれることにほぼ決まりかけていたのである。とても規模の大きいプロジェクトである。

食事が終わって別れ際に僕の携帯電話が鳴った。クアラルンプールの自宅から妻がかけてきたのが携帯電話の表示板で見て取れたから、敢えてその場では電話は取らなかった。しかしこんな時間帯に妻が携帯電話にまでかけてくるのは、よほどのことである。果たして予想は的中した。自分の車を運転しながら、チャイナタウンのそばを通ったあたりで妻が残したメッセージを聞いた。

日本時間では10月16日の午前0時半ごろ、母は亡くなったとのことだった。くも膜下出血の手術はうまくいったのに何のことはない。運命だったのか寿命だったのか、心筋梗塞で亡くなった。

再度帰国しなければならなくなった。翌日の10月16日、職場で華人の上司に相談したら、帰国するのが家族として当然なのだから、心配しないで行ってこいと言われた。

そうは言われたけど、実際の調整は大変だった。仕事上のスケジュールやアポイントメントは、お詫びとともにキャンセルし、あるいは代理の人間にミーティングに出てもらうよう依頼した。夜の宴席も含めて2週間先の予定までびっしり埋まっていたから、こういった電話だけでかなり時間がかかった。

関空行きのフライトは、16日の夜ならばクアラルンプールからの直行便はないが、シンガポール経由ならあるということで、全日空のそれを予約した。社内の電子メールで関係者に一時帰国を知らせ、同時に電子メールの不在用のメッセージをセットアップした。全てが急いで詰めなければならないことばかりの一日だった。仕事上は緊急を要するものや、作業進行中の案件もかなりあったが、周りの人達の協力で、なんとかなった。

その日の午後には、華人系マレーシア人の同僚、上司達が何人も香典としてお金を集めてメッセージ・カードと共に持ってきてくれた。少し印象的だったのが、ある華人女性の上司の一人が、普段は僕に厳しくキツイことを言っていたくせに、この時だけは涙をうかべながら香典を手渡してくれたことだ。とにかく慌しくてキャッシュの持ち合わせが少なかったから、余計ありがたかった。この時ほど華人の私的なネットワークがすごいものだと実感したことはない。

一度目と同じルートで帰国してからは、何がどうなったのか、あまりはっきりとは思い出せない。喪主としてやるべきことや必要最低限の事務的なことを淡々と、できるだけの範囲でやっただけだ。葬式を出し、初七日を終えるまで実家に滞在した。確かに死に目には会えなかったが、一度目に帰国した時に母を見舞い、僕が何度かお粥を食べさせてあげ、少しばかり看病まがいのことができたことで、僕自身はある程度気持ちに整理をつけることができていたのかもしれない。

一度目の帰国の時、母は病床で僕にこう言っていた。

――「遠くにおるけん、お前が帰って来れるとは思わんかった。日本人たった一人で忙しいんじゃろに。それでもよう帰ってきてくれたなあ。息子が帰ってきたら、やっぱり嬉しいもんじゃけんなあ。」 ――
 
つくづく思うが、「お葬式」とは亡くなった人が、残された人にできる最後のプレゼントのようなものかもしれない。再会や同窓会に似たような機会を与えてくれるからである。

四国なんてめったに帰らなかったし、他人のプライバシーに首を突っ込み過ぎるこの田舎の土地は今でもあまり好きではないけれど、中学卒業以来会っていなかった旧友にも再会できたし、小さい頃にお世話になった旧友の母親たちにも会えた。それらオバチャンたちからは、僕の妻を見かけて、「おまはん(あなた)は、ほんまにきれいな都会のおなご(女性)と結婚できて、よかったのう」というような意味のことも言われた。こちらはそんな会話に対応できるほどの精神的な余裕を持っていなかったが、妻がもしそれを直に聞けば、お世辞でも手放しで喜んだに違いない。

食事を作るどころではないので近所の洋食屋へ入ったら、中のコックさんは父親から既に代替わりした僕の同級生だったり、僕が役所へ書類手続に行ったらそこの窓口の女性は中学の時のクラスメートだったりした。確かこの女性からは中学一年の時にラブレターのようなものをもらったことがある。付き合ったりはしなかったけれどね。

母の形見として自分が譲り受けたのは、男物のIWCの腕時計と、小型のハサミだった。IWCの自動巻き腕時計は、母が昔好きだった男性からプレゼントでもされたものなのかどうかは知らないが、今では僕が大切に使っている。
 
その後、四十九日はどうしても帰国できず、マレーシアの中国旧正月の休みの時期である1998年1月末から2月初めにかけて帰国した。その時に初めて墓参りをして、自分がS社の仕事を獲得したことを報告した。今考えると、なんでそのような、仕事のごとき一種つまらぬ報告をしたのかわからないが、僕自身そんな仕事上の成果でもなければ精神的にやっていられなかったのだろうと思う。

母が逝ってから半年ほどは、僕はマレーシアでの仕事がとても忙しく、悲しんでいる余裕も時間もなかった。葬式の時も涙が出なかったが、数ヶ月間は一滴も涙が出ず、黙々と多忙な仕事を片付けていったのである。僕はどちらかというと勤勉でも仕事好きでもなく、遊んでいられた方がよいのだけれど、この時ばかりは打ち込める仕事があるということは、ありがたかった。そして突然、妻の前で、何かの拍子で堰を切ったようにはじめて大声で泣きはらすことができたのは、実は葬式からやっと4、5ヶ月たったあとになってのことである――。

特に海外勤務の時は、母国にいる近親者の生き死にという緊急事態はあまり起こって欲しくないが、それが運命とあらば避けても通れないものだ。1997年という年は僕にとって、他にも親しい人が何人か逝ってしまった年である。3月には僕のクアラルンプールの職場の同僚(華人)が事故で亡くなり、葬儀に参列した。日本では、後で知らされたが友人の一人が病気で亡くなっていた。

(当時は)おいおい、俺達はまだ三十歳代に入ったばかりじゃないか、と言いながら、自分たちはこれからもしっかり生きていかなければ、と思った。

母が亡くなってから1年1ヶ月後に、その母の生まれ変わりのように僕達夫婦に娘が授かった。腹の痛まない男親としては、文字通り天からの「さずかりもの」と感じた。娘は皆に祝福されて生まれてきた。家族、親類だけでなく、僕のマレーシア人の同僚や友人、仕事上の関係者(お客様)、妻の友人など、多くの人に祝福されて生まれてきた。お祝いの品々も数多くいただいた。そして、娘の生まれたばかりの当時の顔つきは、今とは少し違って、なぜか僕の母親にそっくりに見えた。生まれてから2日後に撮った写真を見ても、今もそう思う。特に目の辺りと唇の形なんか、僕自身多少の驚きをもって、あれ、と思ったものである。


新しい世代は確実に、古い世代の何かを受継ぎつつ、育っている。


(注2)
もちろん、世の中には僕たちのような仕事内容とは違って、人命にもかかわる緊急を要する仕事がいくつもある。医療や消防、警察関係などである。彼らは社会一般からもっともっとリスペクトされるべきだと思う。
[PR]
by y_natsume1 | 2004-11-19 14:28 | マレーシア駐在記

通り雨


先日、京都に日帰りで一人旅してきました。
あいにく小雨。でも雨に濡れたお寺は、とてもとても美しかった。

東福寺の紅葉。
妙心寺の静かなたたずまい。


僕は恥ずかしながら、歴史や神社仏閣に疎いせいか、東福寺といっても、あんなに大きくて一つの街のようだとは知りませんでした。かなりの広さで、東福寺自体の中に、「なんとか庵」だの「なんとか院」だの「なんとか稜」だの、ミニお寺のような建物がいくつもあるのですね。無知でした。

そして・・・・・・「伝統」という時間ってパワフルだと思った。
何百年の積み重ねって30年や40年の個人的人生からすれば、太刀打ちできないほど魅力的な長さ。どこかの歴史の浅いアホな国で、まだ死んでもいない(又は死んだばかりの)政治家の名前が安易に空港や施設の名称に使用されている事例がありましたけど、そういうのと対極にあるような、長い時間をかけたロマンチックな重さ。さすが京都だな、と。

雨上がりの古都で、ふと突然思い出した曲の歌詞があります。

「風」というグループの「通り雨」(伊勢正三・作詞作曲)。
長いので一部を引用すると・・・・。

  幸せすぎてこわいと
  大吉破いて捨てた
  何もかもが昔に向かって走り去ってゆく
  思い出すなら忘れよう
  思い出なんて
  指きりがほどけてはいけないはずなのに
  カラカラと 石畳 通り雨


この「通り雨」は、単なる’70年代の懐メロフォークソングだろうと思ったら大間違いで、実はメジャーセブンスのコードを多用してるとてもセンスの良いポップな曲だと思います。
中学か高校の頃に12弦ギターでこの曲をよく弾いてました。

小雨のあがった夕方の妙心寺を歩いていると、なぜか秋の京都と、夏祭りを題材にしたこの曲がシンクロしてしまったのですね。全然関係ないはずなのに。この日の京都の小雨は、「通り雨」でもないし、第一、夏と秋じゃぁ季節が違う。
理由はわからん。
この曲の歌詞が持っている「時間」と「空間」の広がりが、京都のそれにも共通するのかも知れない。

ちなみに、僕が育った讃岐の国の某神社では、「ナゴセ」という夏祭りがあります。
夏を越す祭り、と書いて、「なごせ」まつり。
大きな花火も上がる。もう20年以上も見ていないな、と・・・。

そんな思いにふけりながら、やはり食い気も忘れておらず、錦市場「千波」の青実山椒を買い求め、妙心寺の門前にある「亀屋重久」という和菓子屋の「福豆」や「衣笠」もゲット。ここの福豆なんかは絶品だよと言う友人のアドバイスは的確でした(笑)。目立たない小さなお店ですが、超オススメです。

京都は、自分が中学や高校生の頃、何度か諸事情で訪ねた時よりも、大人になってからの方が面白いことがいろいろと感じられる場所だなと思いました。おとなのまち、ですね、京都って。
[PR]
by y_natsume1 | 2004-11-17 10:38 | Back Street Days

Gosset


ある夜、近所のワインバーで飲んでいたときのお話。

もうそろそろ帰ろうかなと思っていたところ、ある二枚目の中年男性が入ってきた。
カウンターの僕の席の、一つあけて右隣に座る。
彼はおもむろにシャンパンのゴッセGossetをボトルで注文。
そばにいた僕たち他の客にも、マスターにも、よろしかったらと断った上で、1杯ずつご馳走してくれた。
ボトルはすぐに空になる。

「いやあ、こういうシャンパンはさ、さっと皆で分け合って飲んだ方が楽しいし。一人でやるよりね。」

何分かたって、彼がボソッと言った・・・。

「少しの量を、こうやって時間をかけて楽しむ贅沢さ、っていうのかなぁ。ほら、これ、まだ泡が立ってる・・・」

大人の男の、良いセリフ。

そのあとシャンパンの飲み方について、お互いに少し話をした。
クリュッグ、ヴーヴクリコ、ドンペリニヨン、料理はどんなのが良いか・・・・。
イヤミがなくて礼儀正しい人だった。

普段は酒場でオヤジに話しかけられても否定的な僕なのですが、今回はちょっと違ったかな(・・・だって、オヤジって大抵は愚痴やカラミが多いからねぇ・・・、避けたいのです。それにせっかくの僕一人の時間だし。でも、そもそも僕自身が40歳近いオヤジだから偉そうには言えないよね、とほほ)。まぁ、僕は酒場で一人でいると、なぜかオヤジに話しかけられることが多いのも事実ですけど、決して「あっち方面」の雰囲気はないと思いますよ(苦笑)。

ともあれ、飲み屋で初対面の客同士で名刺交換するほど野暮なことはしたくない。
もっと親しくなってからなら話は別だけど。
その夜も、僕とその男性は互いに名前も名乗らず、少し会話して、粋に別れたのです。

ああいう二枚目で若々しいオヤジって、女性にもてるんだろうなぁ。
男の僕が憧れてしまったっすよ。久しぶりに良い夜でした。
[PR]
by y_natsume1 | 2004-11-13 16:05 | 酒×酒

ららら 科学の子


矢作俊彦著。中国と日本を舞台にしたいわゆる「不法入国もの」サスペンス小説。
「時間」と「空間」がコンセプトの小説と言えなくもない。
タイトルは、鉄腕アトムの主題歌の一節。
なんでこのタイトルかは、読むと分かるよ。

1960年代から1970年代にかけて少年時代を過ごした「昭和世代」なら、余計この手のストーリーは印象深いはず。
[PR]
by y_natsume1 | 2004-11-13 16:04 | Books