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カテゴリ:アジア的独白( 53 )

なくしたものを 探しに出れば

右手には懐中電灯を
左手にはワンカップ大関を

そのイデタチで
なくしたものを
探しに出たのだが


あいかわらず何年経っても 
いまだに見つからないものが いくつかある 

なくしてから
ずっと探している

もう  見つからないのかもしれない

それとも 探し求めていれば 
いつかは見つかるものなのか

やはり分からない

けれど そもそも
なくしたものなんか
ホントに
あるんだろうか

真冬に聴こえる
妖しげなサマータイムブルーズのように


♪ テーマ曲 「たしかなこと」 by 小田和正 ♪
そうかな
小田和正 / BMGファンハウス
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by y_natsume1 | 2012-12-07 16:00 | アジア的独白

夏至の夜 ロウソクの灯りが時間を止める

2009年6月21日(日) 夜。

夏至。

この日を境に日の長さが徐々に短くなっていく。

僕にとっては、

何かの変わり目を象徴しているようでもある。


部屋の電灯を消し、真っ暗な中で

大き目のアロマ・キャンドルを灯す。

幻想的だ。

アロマだから当たり前だけど、
お香のような、いい匂い。


いつもの、チリ産の激安But激ウマ赤ワイン。

食パンの耳をトーストしたヤツに
ブルーチーズをたっぷりと塗ってつまみにする。

洗ったばかりのブルーベリーも。

580円でもいっぱしのうまいワインだ。


・・・・・ 呆けたようになる。


ロウソクの灯りは、

柔らかくて、いい。


剛紫の 「空~美しい我の空」 をかける。


CDやDVDをかけると電気を使うことになるから、
本当の意味でのエコロジーにはならないけれど、

こういうの、けっこう好きだ。

ビガク。


東儀さん(?)の笛の音も含めた音全体が、

源氏物語の世界を横目でにらみながら
日本の夏至をゆっくりと駆け抜けていく気がする。

奈良出身の堂本剛くん、今回でなんか突き抜けたな。

しっくりくる。

日本にいてよかったと感じるバラード。

行き着く先は、生か死か。

どちらでもいい。


―― 目を閉じないままで、 

いつのまにか瞑想してたような気がする。


別の世界=異次元に、
少し、トリップしていたような。


今夜はようやく雨が上がって曇りの天候。

星は見えない。

ましてや月は、暦の上ではもうすぐ新月だから、
晴天でも見づらかっただろう。


でも、 やっぱり月を見たい。

ホントは今すぐにでも。


けれど、預言者は僕にささやく。

全てを見透かしたように。

本当の月を見たいなら、由比ヶ浜の(今はもう存在しないあの)バーで、
2009年の9月半ばに決まってるじゃないの、
忘れたの? 


と。

え?

9月?  鎌倉?

ロウソクの幻想的な灯りは、
僕を癒すために時間を止めてくれているというのに、

逆に僕は早く9月になるよう、切望してしまうのだ。

この矛盾。

どうして9月なんだろ?

わからない。

わかっていたとしても、
わかりたくないと言い張るのか。

そういえば、
毎年9月には鎌倉の由比ヶ浜で
キレイな満月をよく眺めたもんだよな。

それと何か関係があるんだろうか。

少なくとも、何かが変わり始めていることは感じる。

今は潮目が変わる時期にいるのだと。


月子さん(仮名)は、
それまで、どこでどうしているのだろう・・・・・・。


空いたグラスにもう一度 赤ワインを 注ぐ。


夏至の夜だからといってもあまり意味はないが、

ベトナム映画 「夏至」

のDVDを消音でモニターにかけてみる。

これほど雨が似合う映画もなかなかないだろう。

どの場面も絵画のように色彩が美しい。

特に緑と青の使い方が素晴らしい。

やっぱり、時間は止まってるように感じる。

なかなか僕は9月にたどり着けそうにない。


僕の時空感覚はとうとう狂ってしまったのか?

いや、そんなことはない。

以前も 今も これからも、
僕の時空感覚はそのままだ。


答は、

答はそこにあると、

もう分かっているはずだろ、自分。

♪ テーマ曲 「空~美しい我の空」 by 剛紫 ♪
♪ テーマ曲 「彼女が死んじゃった。」 by ショーロクラブ Feat.セノオ ♪

関連記事:
「夏至」
「由比ヶ浜の月を 追いかけろ」
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by y_natsume1 | 2009-06-21 23:30 | アジア的独白

いにしえの 鞆の浦

このところ、なぜか 鞆(とも)の浦という土地の名前が 
よく僕の視界に入ってくる。

鞆の浦は広島県福山市の沼隈半島にある、大昔からの港。
万葉集の歌にも出てくるほどだ。

「江戸時代の港湾施設である「常夜燈」、「雁木」、「波止場」、「焚場」、「船番所」が全て揃って残っているのは全国でも鞆港だけ」

なのだそうだ(Wikipediaより)。


宮崎駿が「崖の上のポニョ」の構想を練った所として
鞆の浦が紹介されている新聞記事を見つけたこともある。

(「崖の上のポニョ」という映画自体は観ていないので論評は差し控える。)

一方、ポニョと対比される形で、
最近の埋め立て華僑工事計画とその反対運動も
新聞記事に出る。

地元民の考えはいかに・・・・。

僕はなぜかその両方の記事をスクラップしていた。

先日、万葉集の解説本を手にとってぱっと開いたら、
偶然そのページが、

鞆の浦に関する大伴旅人の歌だった。

ちょっとびっくり。

やっぱり「鞆の浦」が 僕を呼んでるんだろうかねぇ。

近いうちに、ぜひ、行ってみたい。

ついでに厳島神社と、尾道にも。

******************

尾道は大学時代に1人旅で1度だけ行ったことがある。

あの頃から1人でどこかをふらりと、そしてふわりと旅するのが好きで。

尾道駅前の案内所で近くの旅館を紹介してもらい、
泊まった。

そこの女将さんからは
大林監督の映画ロケのエピソードやロケ地の場所を
夕ご飯のときに教えてもらった。

良い思い出だ。

******************

僕は小さい頃、彫刻刀やカッターナイフで鉛筆だけでなく、
何かをひたすら削り続けていた時期がある。

まるで何かにとりつかれたみたいに。

いいかげんにやめれば良いものを、
何度もそれで指を切っては血を流していたものだ。

懐かしい。

今、僕は神社仏閣を、建ててくれた職人に思いを馳せながら楽しむのが、
なぜか大好きだ。


僕の前世の一つは、

まさか、

いにしえの宮大工か、船の職人だったんだろうか。

だから、大昔の雰囲気が少しでも残るその港に、
鞆の浦に、行ってみたい。


鞆の浦で月を見つめ、

万葉の時代の、ルナティックになって、

狂いながら月に吠えたいものだ。


♪ テーマ曲 「風を撃て」 by キリンジ ♪
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by y_natsume1 | 2009-04-07 20:16 | アジア的独白

幼い頃の 神戸駅の思い出

2009年2月22日(日) 朝。

妹尾武の最新CD 「RETRO MODERN DANDY」 を聴きながら、

ジャケット写真を眺める。

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昭和27年(1952年)ごろの、
神戸三宮駅の写真だそうだ(撮影:佐伯幸雄氏)。

素晴らしい写真だと思う。


************

神戸といえば、三宮や元町ではないのだけれど、

神戸駅について、幼い頃の思い出がある。

昔の記憶というのは曖昧な部分と、
あとから付け足したり、都合の良いように思い込んだりしている部分も
もちろん、あるんだろうけど。

たぶん、僕が幼稚園ぐらいだっただろうか。
(だとすると1970年の、大阪万博の帰りかも?)


母親と2人、大阪からの帰り。

なぜか乗り換えの都合で、
たぶん明け方か深夜(?)のヘンな時間帯に
神戸駅にいた。

幼心に、ステキな駅の構内だと感じたのを覚えている。

1972年以降なら、山陽新幹線で岡山まで行き、
連絡船を乗り継いで僕が住む四国香川県に帰る。

それなら、
新神戸駅だ。

それが神戸駅だったのは、
今思えば、
まだ山陽新幹線が岡山まで開通していない時代だったからだろう。

深夜か明け方だったのはたぶん、
母親が仕事のスケジュール上、夜行か連絡船か何かで帰る
強行軍だったせいかもしれない。


・・・・・・ 待合室のベンチにボーっと座っていたのか、
歩き回っていたのか、

突然、 見ず知らずの男に話しかけられる。

相手も暇だったのか。

子供は他にもいるのに、僕を気に入ってくれたのか。

(あとで思い返すと、その男は俳優の左とん平の顔をもっとキツくしたような労働者風だった。 万博の建設が一段落して帰る出稼ぎ労働者だったのか。 とにかく、サラリーマンではなかった。)

楽しかった。

暖かな時間だと感じた。

ひとしきり話してしばらく経って、

その男は僕のところに再びやって来て、

「ボク、これ飲み」

と売店で買ってきたらしい、ふたを開けた牛乳瓶を差し出した。

僕はすぐさま、

「要らんわ」 と言う。

男は残念そうに、

「そうかぁ、要らんのか、ボク。 残念やな」

みたいなことを言って去っていく。


・・・・・・・ それだけのことだ。

それだけのことなのに、
大人になった今でも、あの牛乳とそれをすすめてくれた男のことを、
強烈に覚えている。

神戸駅のレトロな佇まいと共に。


見ず知らずの男と話すといっても、
今の時代ほど、ストーカーや通り魔的な犯罪なんぞはあまりなかった。

古きよき時代だったと言えなくもない。

男が僕の母親に近づきたくて僕に話しかけたとしても、
それはそれであり得ることだし、そんなことはどうだっていい。


本当はとても欲しかったくせに
牛乳を断ったのは、

母親の教育方針に従ったまでだ。

知らない人に物をもらってはいけない。

知っている人でも、いわれのない施しを受けてはいけない。


母親に嫌われたくなかったし、
いつも仕事で忙しい母親を、困らせてはいけないと思っていたから。


この神戸駅の思い出が、もし1970年前後だとするなら、
その頃、僕はたぶん、大人の男に餓えていただろう。

僕の実の父親が家を出て行って間もない時期だし。


大人の男と、遊んだり話したりしたかった。

あの神戸駅の男は、それを敏感に嗅ぎ取ったのか。


ちなみに1970年の大阪万博へは、
母親の大阪出張にかこつけて連れて行ってもらえたが、
実際に万博を案内してくれたのは、いつも忙しい母親ではない。

大阪の、母方の親戚(母の叔父、叔母に当たる)、
夏目(本名)のおっちゃんとオバハンだったと思う。

(僕のBlog名、ペンネームの夏目はここから拝借している。)

夏目のオッちゃんは、
三角形の紙パックに入ったコーヒー牛乳を買ってくれた。

帰りの神戸駅のときとは違って、
万博会場では5歳の僕は、素直にそのコーヒー牛乳を、飲んだが。


・・・・・・・・ あれ以来、神戸駅には一度も降り立っていない。

今もレトロな構内なんだろうか。

そもそも、神戸駅のエピソードが
大阪万博の帰りだったのかどうかさえ、
今となっては曖昧な記憶の断片でしかない。



とにかく、僕が当時本当に求めていたのは、

大阪万博の見物でもないし、
夏目のおっちゃんとのひと時でもないし、
神戸駅の明け方の牛乳でもない。

実の父と母と一緒に過ごせる、時間と空間だった。

いつも、1人だったから。

(小学校1年の時、1人で自分のためのオニギリを作りながら、
悲しくて、何かが切れそうになったことがある。 
昔も今も、決して両親を恨んでなんかいないけど、
あの頃はただとても悲しかったことだけは、確かだ。)



***************

神戸駅の、見ず知らずの男は、

そのすき間をついて、

僕に数分間の暖かい異次元空間を、もたらしてくれたのだろうか。

ありがとう。

♪ テーマ曲 「サクラ咲く」 by 妹尾武 ♪

関連記事:

「月子さんのお話 (4) ~遊郭の夕べ~」
「Blue Train」
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by y_natsume1 | 2009-02-22 10:42 | アジア的独白

東の塔は 墨絵の如く

いまだに9月の記事をゆっくりUPだけど、ご容赦を。
ようやく3部作の最終回。
そんな たいそうなもんじゃないけどね。

******************

2008年9月某日。 

先日の記事の続き。 その翌日。

近鉄 西の京駅 から歩いてすぐの薬師寺へ。

着いた頃には雨も上がり、
濡れた地面と雨上がりの匂いがとても心地良い。

金堂内の薬師三尊像。

中央の薬師如来に向かって右側にある、日光菩薩。
左側にある、月光(がっこう)菩薩。

太陽と月の脇侍。

両者とも、
腰の辺りがちょっとひねってあって、
妙になまめかしく、色っぽい。

特に、月光菩薩。

仏像を見てセクシーと言うのも変かもしれないけれど、
初めて見た月光菩薩はことのほか色っぽくて、
そう感じるのだから仕方がない。

僕は気でもふれたのか、ふとどきにも、
ペニスを硬く勃起させてしまい、
この金堂の中で
月光菩薩を犯したくなる。

それほど美しいということだ。


菩薩はもともと悲や母性を表現しているそうだから、
女性として扱われることが多いとしても、
「仏」に本来性別はなく、
「菩薩」は釈迦の若い頃の修行時代の姿のはずだ。

なのに月光菩薩はどこか性的な魅力を持っている。

あるいは男性の姿と女性(母性)の心を持つ、
中性的な魅力といったら少々的外れな表現か。

とにかく、官能的なんだ。


数ヶ月前に東京に来たとき(注)、見とくんだったか?

いや、 でも、それはそれで良かったのかもしれない。

展覧会で見るのも決して悪くないけれど、

薬師寺という、本来の空間で見ることができるのも、
それはそれでいいのだ、と。

(注)
あとで友人と話していたら、この三尊像は2008年3月ごろから、東京の博物館にお出ましになっていたらしい。 そしてそれは史上初のことなのだという。 僕は仕事が忙しい時期で、メディアに薬師寺関係の話題が出てるなぁ位には思っていたけれど、結局行かずじまい。 まさかその仏像がこれだったとは。 意識していなかっただけに、何かに導かれるように今回この時期に薬師寺を訪れて本当に良かったと思う。 いつかは観ることになる運命だったのかもしれない。 無知だったし計画性も何もなかったのだけど、結果として仏像様たちが関東に旅に出ておられる時期でなく、薬師寺に戻った後の時期に来れて、幸運だった。 



・・・・・ 月光菩薩に見ほれつつ、
そのまま金堂の中から後ろを振り返ると
中門とその両側に塔が2つ、視界に入る。

なんて美しい光景なんだろう。


・・・・・・薬師寺の西塔は1981年に再建された。
だから建築物自体としてはまだ新しい。
カラフルで朱(丹色)や緑(青色)に彩られていて、まさに、「青丹よし」。
キレイだ。


一方、東塔は薬師寺の建築物の中でも唯一
奈良時代の創建当時から現存しているものだそうで、
写真と違って実際に観ると、こちらはカラフルどころか色彩的にはまるで墨絵のような、
古きモノトーンの美しさ。

雨上がりで濡れているせいか、
東塔の墨絵のような佇まいが、ことのほか優美に感じられる。

東塔と西塔。

まるで印象の異なる2つの塔。

どちらも美しいけど、どちらかといえば僕は
シンプルでモノトーンの東塔の方が好きだ。

(旅から帰った後、再建を中心になって担当した西岡棟梁の言葉を知って、再建された西塔を、今はまだどうこう言うべきではないのかもしれない、ということを思いしったんだけどね・・・。)


・・・・・・ さて、この寺を出て、どうしようか。

濡れた石畳を少しずつ、歩む。

東の国に帰る時間までまだもう少し、ある。
月が出るにも、早い時間だ。

日本酒を、頂くとしますかね。

こんなに美しいものを観たんだから、
平静で素面でなんか、いられるわけがない。

飲みたい。

大和路の空間に、 酔おう。


♪テーマ曲 「瀧 ~waterfall~」 (藤原道山) by 古武道 ♪
♪テーマ曲 「空に咲く花」 (古川展生) by 古武道 ♪
♪テーマ曲 「風の都」 (妹尾武) by 古武道 ♪
♪テーマ曲 「それだけの秋」 by 清須邦義 ♪

(奈良関係の連載記事  終わり)

関連記事:
「いにしえの 春日の森の 神の空間(くに)」
「大和路の 夕陽に映える 寺を見る」
「東の塔は 墨絵の如く」



<追記>

西塔の再建は西岡常一氏という宮大工を中心になされたそうである。

さすが法隆寺・昭和の大修理をも担った西岡棟梁の、
大変なお仕事がしのばれる。

しかも、西岡棟梁は西塔ができあがってもちっとも喜ばず、何百年か経ってみないと今は良いも悪いも言いようがない、とおっしゃったそうな。 

対の東塔は千三百年前に建ったものだから、西塔の評価も何百年か経たないと、何も言えないということ。

すごい。

その言葉。
 
哲学も文化も歴史も、
謙虚にわきまえている、宮大工の重みのある言葉ではなかろうか。
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by y_natsume1 | 2008-10-21 19:52 | アジア的独白

大和路の 夕陽に映える 寺を見る

2008年9月某日。 大和路。

先日の記事の続き。

春日の森から北へ歩くと、
やがて東大寺に至る。

南大門の金剛力士像に見とれつつ、
視線を北に移し、
門の位置から金堂(大仏殿)を見上げる。

大きい。

巨大だ。

なんて大きいんだろう。

大きさそのものに感動する。

(そういうふうに管理しているのだろうから当たり前といえば当たり前だけど)

周りに金堂の景観を邪魔するような大きなビルなどがなく、
視界がさえぎられていないのが、いい。

あたりの空気が澄んでいて、澱みがない。
そんなふうに強く感じる。

広々としたこのあたりの空間は、
そして高く突き抜けるような空は、

この寺の大きさを堪能するのに必要な、
良い意味での 「余白」 みたいなものなのかもしれない。

それも、 とても大きな余白。
それだけ大きな余白が、ここには必要なのだと主張するかのごとく。

やっぱり、時間よりも空間が必要なんだろうな。

空間を維持すること。
空間を移動すること。
空間を味わうこと。


大仏様も、奈良を訪れること自体も、
僕は小学校の修学旅行で来て以来。

約30年ぶり。

奈良の観光地の中でも最も基本的、典型的なお寺で、
いわば、ありふれた「ベタな」ところなのだけど、
だからこそ良い。

来てみて本当に良かった。


・・・・・・ 東西の二つの七重の塔は、現存していない。

今ここには ない。

それこそ、タイムマシンに乗って
この目で観てみたいものだが。


現代の建築基準法では再建が難しいのだそうだ。

建築基準法を満たすために
鉄筋コンクリートなら技術的にできないこともない、
けれど、木造でやらないのなら、
再建する意味が違ってきてしまう、
それでいいのか悪いのか・・・・・。

薬師寺の西塔は最近再建されたけど、
あれはどうなってるんだろうなぁと思ったり。


・・・・・・大仏様を鑑賞し、
金堂を出て右の方角を見たら、
さっきはそれほどでもなかった夕陽が
より一層 オレンジ色に輝いている。

美しい。

さえぎる物は何もない。

もしこの瞬間、東塔や西塔が現存していたら、
この夕陽はどんなふうに見えるのだろうと思う。

夕陽は隠されてしまうのだろうか。

それとも、良い角度で塔は西日を称えるだろうか。



・・・・・・ もう少ししたら、夜の帳が降りるだろう。

真っ暗になるだろう。

暗くなれば僕はこの広々とした空間に思いを馳せながら、
酒を飲むつもりだ。

燗がいい。

やがてしたたかに酔っ払った僕は
さらに酒を口にふくんだまま、
この世とあの世のはざまの参道を
猛スピードで逆方向に駆け抜けて、
どこかに必ずいるはずの月子さん(仮名)のところまで行きたくなるだろう。

自分の口に含んだ清めの酒を
口移しで月子さんに直接届けるために。

だってそうすれば、この大和路の夜空に、
妖しい赤い月を 見ることが できるかもしれないじゃないか。

そうだろ。

いや、きっとそうだ。

そう信じたい。


そのとき 酒は もはや清めの酒ではなく、

いにしえの都を、夜の間だけ
異次元の妖しい空間と感じるための、
官能的な媚薬に変化(へんげ)していることだろう。


もうすぐ、

僕のようなエトランジェ(=よそ者)にとっての夜が、

やってくる。

「旅人の夜」 という異次元の空間が、

やって来そうなのだ――。

A stranger in the night


♪ テーマ曲 「赤とんぼ」 (山田耕筰・作曲) by 妹尾武 ♪
♪ テーマ曲 「My Favorite Things」 by John Coltrane ♪
♪ テーマ曲 「Strangers In The Night」 by Frank Sinatra ♪


(つづく)

関連記事:
「いにしえの 春日の森の 神の空間(くに)」
「大和路の 夕陽に映える 寺を見る」
「東の塔は 墨絵の如く」
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by y_natsume1 | 2008-10-08 21:33 | アジア的独白

いにしえの 春日の森の 神の空間(くに)

2008年9月某日。 週末の昼間、 大和路、春日の森へ。

某ガイドブックに従って、観光。

(だから、下の文章のうち、僕自身の文章表現は別として、
ウンチクに関する内容はそのガイドブックによるものだ。)

僕は特定の宗教を信仰しているわけでもないし、
霊感が強いわけでもない (というか霊感は全くない)。
何らかのイデオロギーを声高に主張しているのでもない。 
かといって無宗教という割には
日常的には仏教や神道の影響を受けながら生活しているのも事実であり、
そして昔から神社仏閣や線香の匂いや
古い建築物や教会カテドラルの雰囲気が大好きで、
40歳頃から意識して、いくつかの世界遺産を訪れている。



・・・・・ 大宮をいきなり訪れる、のではなく、
あえて遠い距離にある 一の鳥居から、 歩く。

参道を時間をかけて少しずつ大宮に向かって、 歩く。

それはメインの施設に近づくための、
呼吸や気持を整えながら近づくための、
一種の必要なプロセスなのかもしれない。

あえて、一の鳥居から、というのが、 いい。


参道の中央部分は神様が通る場所だ。
そこを避けて、できるだけ道の端を、 歩く。

緑があふれ、
鹿があちこちにいて、
参道はまるで
昔に向かって走り去っていくタイムマシンのようだ。

僕は、「何か」を味わいながらゆっくりと歩いているのに、
参道そのものは猛スピードで僕を追い越して
遥か千数百年前の昔に向かって走り去っていくような気がするのだ。

根拠も理由も何もないが、
ただ、なぜかそんなふうに僕は感じてしまう。 


参道の両脇には、数多くの、石灯籠。
大小さまざまな形やデザインの灯籠。

いわゆる、万灯籠。

線香の、良い匂い。


馬出橋(まだしのはし)、

馬止橋(まどめのはし)、

・・・・・・ 橋を渡っていくのは 「禊ぎ(みそぎ)」の意味があるという。

そして馬止橋を渡ると、
いよいよ緑深き森の中に入っていく感覚が、より一層わいてくるのだ。


車舎(くるまやどり)を右手に見て、
二の鳥居をくぐる。

(鳥居はくぐるたびに一礼する。)


祓戸(はらえど)神社の 
「伏鹿手水所(ふせじかてみずしょ)」 で、
口と手を清める。

その先の剣先石(けんさきいし)を
踏まないように気をつけながら
(踏むと よからぬことが起こる という言い伝えがあるからだ)、
でも結局少しは踏んづけてしまいながらも、

榎本神社に向かう。

大宮の前に、まずは榎本神社へ参拝。
それが順序だ。


そしてようやく、大宮へ。

南門から中門。

あたり一面の木々の緑は朱の色を称え、
朱は緑を大切にしている。

緑と朱の絶妙な色彩コンビネーション。

そんな空間。

南門の近くに、「砂ずりの藤」がある。

花が咲く時期には砂に着くほど伸びる藤の花。
見ごろは4月下旬から5月とのこと。


東回廊と南回廊の間の垂木(たるき)。

木を、 ねじっている??

大昔の宮大工たちの、
なんて高度な技術であることか。

いにしえの職人たちの、
きちんとした「仕事」を感じずにはいられない。

素晴らしい建築物だと思う。

敬意を。

職人たちに、最高の賛辞と敬意を、 表したい。


東回廊には傾斜がある。

山あいなら土地を削って水平に建てるのが現代の考えかもしれないが、
神の土地は畏れ多く、
削らずに、
そのまま傾斜のある土地に合わせて建てられているそうだ。


回廊ではいくつもの、本当にいくつもの
釣灯籠(つりとうろう)が視界に入る。

そのそばの格子。

絵画技法で言う遠近法のようなシーンが僕の目の前に広がる。

僕はそこで
釣灯籠と格子の数だけ、
向こうに歩けば千数百年前に、
背中の方に戻ればウォン・カーウァイ監督が描いた映画「2046」年の未来に、
行ってしまいそうな幻想を抱く。

まるで一種のタイムトンネルが、そこにあるかのように。

先に進めば昔に戻り、
後ろに下がれば未来に、というのが、
なぜだか僕にもわからない。

本来なら逆に感じてもいいのだけど、
こういう場所はそれでいいのかもしれない。

そう感じただけだ。

特に理由はない。

何が真実かは別にして、今の僕にとって
千数百年前の過去も、
2046年という未来も、
僕が存在する今このときとは異なる「空間」だということに
変わりはない。



大宮。

捻廊(ねじろう)。 


本殿では個人的な願い事は、しないのだそうだ。
公的な、天下国家の願い事をする。

でも、この僕が?
公的な願い事?
どういうふうに?

例えば、アメリカの金融問題とか?
はてさて。

とにかく、
個人的な願い事はその先の摂社(せっしゃ)、末社(まっしゃ)で。


御間道(おあいみち)から若宮へ。


巫女(みかんこ)と神楽男(かぐらお)はどこに?

そして、梅の木はどこ?

「人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香に匂ひける」
(紀貫之  百人一首)。


・・・・・ 僕は歩きながら思った。

ヘンリー・ミラーが「北回帰線」のラストで書いているように、
人間には時間よりも、空間が必要なのだ。

そりゃ、もちろん、時間も大切な概念で、
ある程度の分量の時間が存在しないと、お話にならないだろうけど。

でもやっぱり、 空間は時間をリョウガする、と思いたい。

この日のように、

一の鳥居から、少しずつ参道を歩く。
そこここで線香の匂いをかぐ。
古(いにしえ)の建築物を眺める。
いくつもの釣灯籠を過去と未来のはざまに立って、見つめる。
緑と朱という色彩を堪能する――。

空間を移動することによって、 
遥か昔への思いを馳せることが、 
少しはできるような気がする。

僕の青臭い、 淡い、 期待だろうか?

いずれにしても僕は
大和路で感動の極致にいたことだけは、確かなのだ。


・・・・・・ やがて北の方角への道に戻り、
この一帯を抜けて、
公園の緑の中、
ひたすら歩を進める。

鹿が、いる。

数多くの、鹿が。

かつて予知能力のある霊獣と考えられた鹿。

春日の神は平城京を守るために
白鹿に乗って大和に降臨したという、言い伝え。

歩く。

緑の中を。 

朱色はもう、見えない。

緑は僕を頭っから足の先まで包んで
どこかに連れ去ろうと画策している。

どこかって、それはまさか嬉しいことに、
月子さん(仮名)のところだろうか?

そうだと、いいのだけれど。

ねぇ、月子さん、
僕は少し、歩き疲れたよ。


酒(日本酒)が、欲しい。

銘柄は白鹿、かな、 やっぱり(笑)。

酒を、 飲もうよ。

大和の 夕陽を見つめながら。

♪ テーマ曲 「月光」 by 藤原道山 ♪
♪ テーマ曲 「ELM」 Cowboy Bebop サントラ 「No Disc」より ♪
♪ テーマ曲 「通り雨」 by 風 ♪
♪ テーマ曲 「スカボロ・フェア」 by サイモン&ガーファンクル ♪
♪ テーマ曲 「僕のいいたいこと」 by オフコース ♪

(つづく)

関連記事:
「いにしえの 春日の森の 神の空間(くに)」
「大和路の 夕陽に映える 寺を見る」
「東の塔は 墨絵の如く」
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by y_natsume1 | 2008-09-23 18:16 | アジア的独白

京方人(みやこかたびと)

2008年4月26日(土)。

大阪出張のあと会社の皆と別れ、1人で京都に立ち寄る。

この日訪れた神社仏閣は、
西本願寺、東本願寺、三十三間堂、上賀茂神社。

どこも新緑が美しく、
その建築様式に心を奪われる。

例えば西も東も本願寺の建築物は雄大で、
唐門は妖しいほどに色っぽく素敵だ。

(同じ雄大さという意味で、昨年訪れた知恩院も大好きなお寺である。)

西本願寺のお隣にある龍谷大学の歴史的な西洋建築もみごと。
素晴らしい。


今回、御影堂が修復中の西本願寺を訪れた時のこと――。

西本願寺と龍谷大学の間にある小道(北小路通)を
堀川通りから幼稚園方面に向かって進む。


唐門あたりに来た時、なぜか突然、
僕は一種のトリップ状態に陥る――。

**********

――以前勤めていた会社の同僚(でも僕より10歳位年上だった)、
シンさん(仮名)のことが急に頭に浮かぶ。

シンさんは10年ほど前に病気でこの世を去った。
ずっと体調が思わしくなく、彼がロンドン勤務を切り上げて日本に帰っていたときのことだ。

僕は当時マレーシアに駐在していて、その急な訃報を聞いて驚いた。

訃報の2~3ヵ月後ぐらいだったと思うけど、一時帰国した際に、
シンさんのマンションに未亡人を訪ねて、お焼香させて頂いた。
子供はいない。

僕とシンさんは年齢だけでなく育った環境も経歴もまるで違ってた。
それほど親しく深く付き合いがあったわけでもない。
それが当時のあの会社では普通のカルチャーだったし。

けれど僕とはなぜか妙にウマが合い、互いに親しみがわき、
自宅が割と近いということもあって(互いの家には行かなかったけれど)、
ときどき同じ電車で一緒に帰宅したものだ。

・・・・・・・・ この数ヶ月、よくシンさんが僕の心に現れる。 

今から半年ほど前、
僕は以前の会社の総務部に本当に電話して、
シンさんのお墓がどこか、知っている人でもいないだろうかと尋ねたほどだ。
(お墓ぐらい知っとけよ、自分。 ご遺族の連絡先ぐらい書いとけよ、自分。)

結局は分からなかったけど、お墓参りに行きたい気持ちは今も、ある。


「夏さん(僕の愛称)、大丈夫だよ。 安心して。 大丈夫。 安心して夏さんの人生を楽しめばいいんだよ。 オレの分まで、楽しんでおくれよ」

彼は僕のところに現れるたびに、そう言う。 

いや、そんな風に聞こえるような「気がする」、
と言った方がもう少し正確かもしれない。

僕には霊感なんかまるでないから。

けれど唐門の手前でシンさんのことを
何のきっかけもないのに突然思い出したのは本当なのだ。

うまく言えないけど、ふとした拍子にシンさんのことを思い出し、
シンさんが話そうとすることが、ただ僕の心になんとなく浮かぶ、
そんな感じなのだ。

特にこの数ヶ月から半年は、何度かそういうことが起きている。

僕はいつもシンさんに、守られているのだろうか。


**********

―― ほんの数秒の間だったけど、
春の京(みやこ)は、僕を異なる時空へいざなう力が、あったのかもしれない。

あぁ、なんだか新緑が、
美しすぎて、まばゆい。

「生」そのものが、まばゆいように。

この日の本願寺の唐門や三十三間堂をすすめてくれた「その人」に、
僕は心から感謝している。

♪ テーマ曲 「アメイジング・グレイス」 by 藤原道山 ♪
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by y_natsume1 | 2008-05-03 19:32 | アジア的独白

キャメロンの蝶は 三日月に吠えたのか

蝶(バタフライ)の形をした緑色のバレッタは、
オパールに命を吹き込んだろうか。

1990年代のキャメロン高原には
蝶は数え切れないほどいたけれど、
今の東京じゃ、いくら探してもオパールは見当たらない。

そもそも
僕がずっと探しているのは、ラジャブルックなんかじゃない。

緑の蝶によって花芯を大きく勃起させた、
官能的なオパールなのだ。

それは、いつも、果てしなく遠い所にある。
M78星雲 ひかりの国よりも、もっと遠くだ。

そこには絶望的な希望が、まだ、  あると言うのかい?

♪ テーマ曲 「心のリズム飛び散るバタフライ」 by doa ♪

関連記事:
「熱い絹」 
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by y_natsume1 | 2008-01-24 20:35 | アジア的独白

鼻水は小宇宙の彼方に

2007年12月16日(日) 朝。

某所の座禅堂へ。
自宅から歩いていけるところに
座禅堂の類があるのはありがたいことだ。

この同じ場所で
相方の祖父や父も同じように過ごしたのかと思うと感慨深い。

相方の実家はお坊さんの家系だ(道元の曹洞宗)。

だからといって
それが理由で僕が神社仏閣や写経を好きになったわけではない。

特定の宗教を信仰しているのでもない。

ただ、なぜだかわからないけれど、
昔っから僕は
宗教的な空間にいつもご縁があるし、
惹かれるし、

鎌倉や伊勢神宮やカテドラル教会などを頻繁に訪れるのも、
そこでは全てが荘厳で、
自分が穏やかになり、癒されるような気がするからだ。


・・・・・・ 素足になり、作法どおり叉手(しゃしゅ)で左足から堂内に入る。

けっこうな数の人たちが来ている。

寒い。

風邪気味なので鼻水が垂れる。

香が焚かれる。

瞑想。 

無の境地には
全然近づくことができない。
頭に浮かんでくる物事は消し去れない。

けれど、
できるだけ
それらについてこだわらず、
それらについて敢えて考えず、
ただひたすら静寂の中にいようとする。

今の街なかの音が、どれほどうるさいことか。

それに比べてここには、静寂がある。 
僕の鼻水をすする音以外は。
(目立ってしょうがないんですけどね。)

静寂を、 ありがたいと思う。

足はかなりしびれている。

お香1本分の時間、つまり45分後、座禅は終了。
(これじゃまるで90分の長さぶんのシガーを選んでふかすのに似ている。)

・・・・・・ 座禅の後、お坊さんの説教をきき、
なんだか爽やかな気分で外に出る。

快晴の冬の空は真っ青だ。
空気が澄み、乾燥している。

Meditateしているあいだ、
僕は自分自身の内部という小宇宙に
トリップしていたのかもしれない。

♪ テーマ曲 なし ♪
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by y_natsume1 | 2007-12-17 19:46 | アジア的独白




夏目芳雄の東南アジア・映画・ジャズ・酒などに関するよもやま話です。
by y_natsume1
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