この文章は、以前自分が書いた
「ジャスミンと巫女」というエントリ記事の続編みたいになってしまったかもしれない――
************
エリオット・スミスの
「waltz #2 (XO)」 がかかっている
何度も何度もリピートで
さながら終わりを告げることのないワルツを
月子さん(仮名)と永遠に踊る約束でも したみたいに
この曲は 別れ歌のはずなのに
そして僕は ほんとはワルツなんか踊れるわけがないのに
別れるための曲(ワルツ)がリピート設定で終わらないなら
しかも僕自身がワルツを踊れないのなら
永遠の別れも来ないで済むのだろうか とさえ
思えてくる
ゴロワーズ
ペルノー
墨香
ジャスミンの匂い
月 ・・・・・・・
僕自身の存在に 決して欠かせないものたち
月は どこだろう
「そのとき」 深夜バスは
「海辺のカフカ」 の主人公カフカがそうであったように
僕を あの四国の霊場へ いざなうだろう
「そのとき」 深夜バスは
僕を故郷という名の この世とあの世のはざまへ 導くのだろう
僕は 「そのとき」 が来るまで 静かに待っていればいい
ただ 待っていれば
赤い満月も そしてオパールさえも
そのときに 見つかるかもしれない
ねぇ 巫女さん
そう だろ?
♪ テーマ曲
「waltz #2 (XO)」 by Elliott Smith ♪
- End -
関連記事:
「ジャスミンと巫女」
「月子さんのお話 (4) ~遊郭の夕べ~」
「Blue Train」
(注1)
テーマ曲のタイトルについている 「XO」 は英語の手紙の最後によく書かれるキスとハグを表す略語だ。 Xはキスを、Oはハグを意味する。 だからこの曲はたぶん、大切な人にキスとハグで永遠の別れを告げる前に、せめてワルツを踊って・・・・・・という、別れ歌なのかもしれない。 歌詞だけからはストレートに読み取れないけれど、そういう気がする。
(注2)
「月子さん(仮名)」 という名は僕のいくつかのブログ記事でしばしば登場する。 けれどいつも同じ人物とは限らない。 そのときそのときで、表現する人物は異なる。 現実の人のこともあれば、想像上の人のこともあるし、この世にはいない人のこともある。
<追記>
以前書いた
「ジャスミンと巫女」
という自分の文章に、何かちょっと引っかかるものがある。 自分の文章のくせにね。
何だろう?