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境界線(ボーダーライン)はどこだ?


つれづれ思うに・・・・・

国境などの法的な決まりごとを除いて、いわゆる境界線(ボーダーライン)なんて、誰かが勝手に定義づけてもいいし、逆に何も決めなくてもいいし、どっちでもいいことなのかもしれない。 いや、境界線(ボーダーライン)なんて、むしろない方がよくて、誰も決めてはいけないものなのかもしれない。


例えば、どのくらいの期間そこにいれば、「住んだ」ことになるのだろう。
法律的なことはさておき、「住む」のと「滞在する」のとでは、だいたい何日ぐらいが、人間の感覚的な境目になるのだろう。

分からない。


例えば、米国のサンディエゴに一ヶ月いたことがあるけど、自分にとってその時は「滞在する」感覚しかなかった。 先(帰国予定日)が決まっていたからだろうな。 いったいどの時点から「住む」期間に入るんだろうか。

分からない。


ブエノスアイレス 摂氏零度
/ レントラックジャパン






例えば、ウォン・カーウァイ監督の映画「ブエノスアイレス」では、「旅人」の視点と、「生活者」の視点が描かれていたように感じたけど、両者の視点の違いはどこにあるんだろう。 
香港から見て地球の反対側(ブエノスアイレス)に長年 「住んでいる」 くせに、いまだにセトルダウンできずにいる、「旅人」の感覚しか持ち合わせていないかのような主人公たち。 両者の視点の違いは、心の持ちよう、精神的なものだけなんだろうか。

分からない。


例えば、よくある下世話な話だけど、「浮気」と「本気」の違いは何だろう。セックスをすれば浮気なのか?  一般的にはたぶんそうなんだろう。 けれど、セックスしないで精神的なつながりだけの場合に、それさえも、ことさらに 「浮気だ、浮気だ」 とあげつらう人間がいるのは、どうしてなんだろう。 逆に、セックスしていないから単純に「浮気ではない」 と、厚顔無恥に開き直って称する当事者がいるなんて、どうしたことだろう。 どうでもいいか。 法的なことはさておき、万人に通じる一般的な「浮気」の定義なんて、思い浮かばないもの。 人それぞれが勝手に言ってればいいだけのことなのかもな。

でも、何となく納得できない。 

分からない。


例えば、いったい誰が何の権限があって、旧植民地の国境なんかを決めたんだろう (いや、もちろん、いろんな国の政治家たちが必要性があって決めたんだろうけどさ)。 

東南アジアのスールー諸島あたりや、マカッサル族やブギス族のことなどを考えると、フィリピンだの、インドネシアだの、マレーシア・ボルネオ島の北半分などというラインの引き方は、奇異だ。 少なくとも文化人類学的な視点ではそういう気がする。 フィリピンもインドネシアもマレーシアも、ちょうどその3つの真ん中辺りで、一つの国として一緒にしちまえばいいのに、とさえ思う。 明らかに列強国の植民地支配の影響がある。 そうでなければ、「言語と文化と歴史と民族など」を無視して、ボルネオ島(カリマンタン島)の北と南を分断した国境が引かれる訳がない。 言語的、文化的には共通点の多い地域なのに。 ボルネオ(カリマンタン)の「北側」は英国の、「南側」はオランダの、植民地だったよね。 

「言語と文化と歴史と民族など」がある程度一致するような、国境を確定しやすい国なんて、教養のない自分の頭では、日本ぐらいしか思い浮かばない。 他の国はどうなってるんだろう。

分からない。


例えば、「海」と「陸」の境目は、どうやって決まるのだろう。

大学生の頃、幸運にも、生前の鶴見良行の特別集中講義を3ヶ月受けたことがある。 うちの大学にこんな有名な人が臨時講義に来てくれるなんてと思った。数年後アジア・フリークになる自分としては、今思うと本当にラッキーだったのだ。その時のテキストは「バナナと日本人」だったように思う。 で、それとは別の書物だけど、同じ鶴見良行の「マングローブの沼地で」(朝日選書)の18頁に、「海」と「陸」の境目について、見事な描写が引用されているところがある。 それを再引用しよう。


「・・・・潮の干満が途切れる線で区切る方法がある。海水と淡水を行き来するイラワジ・イルカを見かける限界も目印になる。海鳥も目やすだ。河にイルカが潜み空を海鳥が舞う。そこが海と大地の接する空間だ。嵐や洪水で大地を離れた流木が潮の干満で行きつ戻りつする状態を観察するのもいい。人間を観察する方法もある。河を上っていって魚を取る仕掛けがどこまであるかを見るのだ。漁師たちは、潮の干満と河の流れで微妙な動きをする海魚とエビをよく見きわめてやなを仕掛ける。だから、イルカ、海鳥、流木、やなのあるところ、そこが海と陸の境界だ・・・」


何てステキな文章だろうか。 この生き生きとした、えらく魅力的な文章に出会ってからは、以前よりももっと海と陸の境目を意識するようになった。 

鶴見良行の著作を読むまでもなく、どんな仕事でも、「実際に現場を見て歩く」ことが最善のアプローチ法だとは、頭では分かっているつもりだ。 けれど、それだって「行動」が実際に伴ってこそ生きてくる話だろう。 

まだまだ、分からないことが、多いな。
自然に接し、現場を歩かねば。


さて、 僕の「ボーダー」はどこだ??  いや、そんなもん、 あるのか??
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by y_natsume1 | 2005-03-03 21:25 | アジア的独白
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夏目芳雄の東南アジア・映画・ジャズ・酒などに関するよもやま話です。
by y_natsume1
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